出会い

「じゃあ私たちゴミ捨ててくるね!」「ええ、道具の片付けはやっておくわ」じゃあね、三宮さん、と手を振っている同級生に手を振り返す。今日は一学期の終業式。各クラスに割り当てられた大掃除の場所は、広い校舎の隅々までを網羅する。体育館の掃除を割り当てられた薫ちゃんや葵ちゃんたちの班とは違って、私の所属する班は教室から一番遠い場所の廊下と階段だった。多目的室や特別教室が並ぶその場所は、授業が無いと立ち寄らない特別なエリアだ。高校二年生になって、手に入れた平和を満喫するべく私たちは高校生活を楽しんでいた。それでもやっぱり自分は精神感応系の高超度エスパーで、薫ちゃんや葵ちゃんみたいにうまくクラスに馴染めていないような、少し居心地の悪い感覚から抜け出せずにいた。今日の掃除当番のメンバーとも仲が悪いわけじゃない。それでもどこか薄い壁のようなものを感じてしまって、距離を取ってしまうのはもう仕方ないとも思っていた。他の子達のホウキや塵取りを抱えて道具入れまで運ぶ。やっぱりひとりは楽だななんて考えながら、ごみ捨てを任せて正解だったと溜め息を吐く。備え付けられたロッカーの中に道具を閉まって、自分も教室へ戻ろうと意識を切り替えた時、ふわりと風に乗ってピアノの音色が聞こえてきた。「……素敵な音色……部活か何かかしら」流れるような旋律に、恐らく並ではないピアノを引きこなす技術力。何より聞いているこちらの心を撫でるような音楽に、自然と足は音のする方へと向かっていた。開いていた扉から中を覗くと、部屋に置かれたグランドピアノに熱心に向かっている背中が見える。時折見える指先は繊細な指使いで鍵盤の上を滑っていく。そこから紡ぎ出される旋律が、何故か私の心を捕らえて離さなかった。座っていてもわかるスラリとした背丈に長い手足。男性というよりも中性的なものを感じさせる線の細い背中。男の人にしてはきっと細い部類なのに、それでも折れるようではないしっかりとした腰付き。爽やかな旋律がまるでその人そのものを表しているようで、私は目が離せなかった。「……聞いてくれて、ありがとう」気が付けば、最後の鍵盤の音が吸い込まれるように終わったところだった。すっかり聞き入っていたことに驚いて、ハッと目を見開くと、ピアノを弾いていた男子生徒が振り返ってこちらに微笑み掛けている。「あっ……え、っと、すみません。立ち聞き、しちゃって」逆光になっていて、男子生徒の顔はよく見えない。ふわふわと風に舞う薄手のカーテンが光に透けてきらきらと輝いて見える。本格的な夏が到来していて半袖の制服では少し汗ばむくらいなのに、自分でも驚くほど、空気が澄み渡って涼しげな風がここにだけ吹いているような感覚に襲われた。「いいんだよ。立ち聞きなんて言わないで? 僕は自分のピアノが誰かの心を動かせたなら、こんなに嬉しいことはないから」そう言って、ピアノを撫でながら立ち上がったその人の顔が、ちょうど光の死角になって浮かび上がる。「僕は深見悟です。君の名前を聞いてもいいかな?」名前を名乗った彼は、人好きのしそうな笑顔を浮かべながら首を傾げた。それに合わせてさらりと揺れた黒い前髪が印象的で、人懐こい目元が私の視線を惹き付けて離さない。見つめられてドキドキするなんて、と自分を落ち着かせながら何とか答えた。「……さ、三宮紫穂です」「三宮さん」またふわりと笑みを深めた彼は、緩く細めた目でこちらを見ながら口を開いた。「明日もこの時間、ここでピアノを弾いてるから。よかったらおいで」サァ、と部屋の中を風が吹き抜けていく。光が散りばめられたみたいにきらきらと陽の光が差し込んで、彼の周りをふわふわと彩っているように見えた。「……ご迷惑、じゃないんですか?」「迷惑だなんて。君みたいな可愛い子に聞いてもらえて、僕はすごく嬉しいよ?」茶目っ気たっぷりに首を傾げた深見と名乗った男と視線がかち合う。急に可愛いと言われたことも相まって、恥ずかしくなって俯いた。「……よかったら、明日も来て? 僕のピアノ、聞いてくれると嬉しい」「……わ、かりました……あの、今日は、もう」「あ、呼び止めてごめんね? 今日はありがとう。じゃあまた、明日」ひらひらとこちらに向けて手を振ってくるのに釣られて私も手を振り返す。それからペコリと頭を下げて足早にその場を立ち去った。廊下と階段を早足で通り抜けて、自分の教室を目指す。上がる息は急いでいるせいだと自分に言い聞かせて、教室に飛び込んだ。「あ、紫穂! 遅かったねー」薫ちゃんの呼びかけが耳に届いて、ホッと息を吐いた。「……薫ちゃん、葵ちゃん……二人とも待たせてごめんね」にこりと微笑みかけながら二人に駆け寄ると、葵ちゃんが首を傾げながら口を開いて。「なんや自分、珍しいな? 走ってきたん? 息上がってもうてるで」ドキドキとうるさい鼓動を指摘されたようで、カッと頬が熱くなる。「えっ、ナニナニ? 顔真っ赤だよ、紫穂」「なんや、また告白でもされてきたんか?」にやりと笑う葵ちゃんに、違う、と言い返そうとして、何故かうまくいかなかった。告白されたわけじゃない。ただ、明日もピアノを聞いてほしいと言われただけ。ただそれだけなのに、告白をされてお断りの挨拶をして綺麗に別れてくることよりも、遙かにドキドキして冷静でいられなくなるような体験だった。ただ、ピアノの旋律に誘われて、お互いの自己紹介をして、明日の約束をしただけなのに。「ち、違うの。そういうんじゃ、なくて」「え、なになに? ついに先生よりイイ男出現?」薫ちゃんの問いかけにドキリと心臓が跳ねる。「そ、そんなんじゃないわ! ただ、別に……明日の約束、しただけで」「え? ホンマに男なん!? 賢木先生一筋の紫穗が明日のデートの約束とかよっぽどやん!!!」「で、デートじゃないわ! 明日も、学校で会う、だけ、よ」「うわ、男なんはホンマなんや……賢木先生に報告せな」ヤバイヤバイと慌てる二人に、ふぅ、と溜め息を吐く。「明日会うのは確かに男性だけど……先生は別に動じないし何も反応しないと思うわよ」「えー、でも紫穗に男ができたってなったら変わるかもしれないじゃん。流石の先生でも慌てるかも」「……そんなことないわよ。先生、私のこと何とも思ってないもの」「そうかなぁ……」会話をしながら、さっきまで自分でも驚くくらいにドキドキしていた胸の鼓動が一気に冷めていく。先生がこれくらいのことで何か変化を見せるわけがない。ずっと先生のことを見ているのは私だけで、きっとそれはこれからも変わらない。私の気持ちは多分、一方通行のままに終わるんだろう。「……とにかく、私は明日もこの時間に学校に来ることにしたから。二人はバベルでしょ? 明日は待機じゃなかったはずだけど、何かあったら連絡頂戴ね」携帯には出られるようにしておくから、と続けると、ぽかんと口を開けた二人がまじまじと私を見てくる。「……な、なによ」「夏休みなのに、わざわざ学校に来るなんて……」「よっぽどエエ男なんやな……どんな人なん?」「紫穗の心を射止めた男はどこのどいつ! 白状して!!!」「ま、まだよく知らないわ……ピアノがうまくて……ふかみ、さとるって名前の……」ぽつぽつと小さく呟くと、ふむぅ、と首を傾げた葵ちゃんが考え込みながら口を開いた。「ふかみ……? ウチの学年にそんな名前の男おったかな? バレットに聞いてみよ!」「そうだね! バレットなら何か知ってるかも!」「あ、ちょっと二人とも!」さぁ早くバベル行こ! と二人に腕を取られてバタバタと駆け出す。縺れそうな足を何とか動かして二人についていった。私たちの身辺警護の任務も担っているバレットやティムなら、確かに彼のことを知っているかもしれない。でも、知りたいような知りたくないような、心のどこかでブレーキを掛けている自分がいて戸惑った。私が知りたいのは、彼の情報じゃなくて、もっと別のなにか。でもそれは、きっと明日もう一度彼に会えばわかるような気がして、またとくんと心臓が音を立てた。明日、また、あの部屋で。彼のピアノを聞いて、私はどうするんだろう。とくとくと静かに音を立てる心臓を、そっと服の上から撫で付けた。

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