目が覚めたら青い小鳥になっていた。なんてどこかの小説や童話や絵本から飛び出してきた物語が自分の身に起きているのに、それを冷静に受け止めている自分はいよいよこの世界に染まってきたなぁ、とどこか他人事のように感じてしまう。起きたら異様に低い視界。何だかいつもと違う身体の感じ。もしかして、とたまたまそばにあったガラスを覗き込んだら青くて小さな鳥が映っていた。わぁ、と一瞬驚いたけれど、次の瞬間頭を占めたのは『早く逃げなくては』だった。だって今の私はまさしく『幸せの青い鳥』そのもの。こちらの世界にもその伝承はあると魔法史の授業でトレイン先生に聞いた。クルーウェル先生は美しい青色の羽根は上質な魔法薬の材料になるとも言っていた。このままだと私、間違いなく材料か飼い殺しの道へ待ったなしでは?とにかく逃げなきゃ、ときょろきょろ周りを見渡して、ちょうど窓が開いているのを発見した。あそこから逃げようそれしかない! とひょこひょこかちゃかちゃともたつく足で机の上を跳ねて精一杯窓に近付いていく。机のギリギリ端のところから一メートルほど離れた窓。この距離をどうやって詰めようかと思い悩んで、今の私は鳥なんだから飛べるんじゃないの? と閃いた。今まで数々のピンチを乗り越えてきたんだから今回だってきっと大丈夫。よくわからない根拠からくる自信を胸に、バサリと大きく羽ばたいてからぐっと身体を縮め、思い切り窓に向かって机を蹴った。「あああああああI can fly !!!!!」ふわりと浮き上がった身体をさらに宙へ浮かべるようにバサバサと羽を動かす。何とか窓を通り抜けてふよふよと頼りない軌道を辿りながらも広い世界へ身を委ねる。やった私やっぱり飛べる! と嬉しさが込み上げてくる。飛行術の授業では地上からみんなを見上げているしかできなかったのになぁ、と何だか感慨深くなった。このまま青い空へ向かって飛んでけー! と上昇した気分とともに真上を目指すけれど、なかなか太陽に近付けない。まぁそりゃいくら飛べるようになったからって太陽に近付けるわけじゃないけれど、それにしたって進まない視界はおかしい。っていうより、どんどん視界が下がっているような? ひょっとして、これ、落ちてない?「き、きゃあぁぁぁあぁぁぁぁぁっっっ!!!」気付いてしまえば、まるでイカロスの翼のように、立派な羽は飛ぶことを忘れて真っ逆さまに小さな身体は下降していく。どんなに羽を動かしても藻搔いているようにしかならない。私の命運、遂にここで尽きるのか、とぎゅっと目を瞑った瞬間、パシリと何かが私の身体を覆って辺りは真っ暗になった。今度は何!? と身を縮めると、ゆっくり開いた隙間から光が射し込んで、パチパチと目を瞬かせた。眩しい光を覗き込むように首を伸ばすと、さらに開いた隙間からよく見知ったエメラルドの瞳が見える。「レオナ先輩ッ?!」体操着姿のレオナ先輩は当然だけれどいつもより大きく見えて、そのまましばらくお互いに見つめ合っていた。今はちょうど部活の時間帯。きっとマジフト部の練習中だったんだろう、ふよふよとした浮遊感がレオナ先輩は箒に乗っているのだろうということを教えてくれている。「……何やってるんだ? お前」スッと眉を寄せて気だるげに問い掛けてくる先輩に、ハッとしてもたつく足で転げながらバサバサ羽を動かして訴える。「たっ、助けてください! 起きたら鳥になってました!」レオナ先輩が助けてくれるかどうかは賭けだ。この際一週間デラックスメンチカツサンドのパシリに使われてもいい。ラギー先輩の代わりに家政婦になることだって受け入れよう。とにかく青い鳥状態さえ脱することができればもうなんだっていい。助けて助けて何でもするから、ともたつく身体を動かして先輩の掌に縋る。お願い、とその大きい碧の瞳を見上げると、レオナ先輩は先ほどと全く変わらない表情で私を見下ろしていた。え? どういうこと?こんなに一生懸命お願いしてるのに無視?……そりゃあ、こんな助けても何のメリットもなさそうな私を先輩が助けてくれるとは思えないけれど。確かに、ご迷惑しか掛けてない後輩がまた面倒背負ってやってきた、くらいにしか思ってないのかもしれないけれど!一応、私たちの間柄はそんなに仲が悪いわけじゃない先輩後輩の関係、だと思う。ちょっとくらい助けてくれようとしたっていいんじゃないの――見返りを求められるのは別として。じぃーっと私を見つめ続ける目に、うぅ、と泣きそうになりながらもう一度何とかしてほしいと伝えようとしてピンと来た。ひょっとして、私の言葉が伝わってないんじゃないか。だって今、私は幸福の青い鳥。レオナ先輩は幸福の青い鳥になんて興味は無さそうだけど、私は喋れているつもりで実は鳥の言葉を喋っているのかもしれない――いやでも待てよ、レオナ先輩が鳥の言葉を理解できないなんてことあるわけがない。じゃあ一体どうして。そこまで考えて、はたとレオナ先輩が体操着を着ていることを思い出した。そして飛行術の授業で、自慢げに捕まえた鳥を私に見せてきたことも。まさか。まさか!「い、いや……た……食べないで……」「はぁ?」「きゃー! 私美味しくないです! 鳥じゃないです! 食べないでー!」レオナ先輩の掌の上、小さな鳥の姿でも流石に狭すぎるその空間でジタバタとみっともなく暴れまわる。だって私はレオナ先輩に捕まったあの鳥のその後を知らない。びっくりして逃げてしまったから、あのあと、レオナ先輩が鳥を逃がしたのか、肉食のライオン様がペロリと食べてしまったのか、私は知らない。「いやー! 食べないでー! お願い私を食べないでー!」「……ピーピーうるせェな……ちょっと黙れ」「ぷぎゅ!」ぐい、と親指で私を抑え込んだ先輩はそのまま私を片手で包み込んだ。潰される! と目を白黒させていると、ふぅん、と興味深げに目を細めた先輩が私のお腹を親指でそろりと撫で回す。その手付きは私を潰さないようにという優しく柔らかいタッチで、逆にびっくりしてしまう。驚きで身体を硬直させていると、流れるような手付きでマジカルペンを取り出して何かの呪文を唱えながらくるりと私に翳した。キラキラと光る粒子が私の身体を包んで、ボン! と爆発したと思った瞬間、自分の身体が元通りになっていた。戻った! と瞬きしているうちにふわりとした浮遊感が身体を襲って、自分が今空中にいることを思い出した。「おち、落ちるッ!」「おっと……落とすかよ。バーカ」フン、と鼻を鳴らしたレオナ先輩は片手で私の腰を抱いて、箒の上で器用にバランスを取っている。「……あ、ありがとう、ございます」「どーも。でもまァ、じっとしとけよ?」落ちるぞ、と言われて思わず身体をぴしりと硬直させる。カチコチに固まった私を見て、レオナ先輩はケラケラと楽しそうに笑った。「やけに従順じゃねぇか……食われると思ったか?」ニヤニヤと私の顔を覗き込む先輩を、押し遣ることも顔を背けて抵抗することもできなくて、ぎゅっと目を瞑って受け流す。「だ、だって……私、まだ、空は飛んだことないから……」飛行術では見学だし、エースもデュースもグリムも、私を乗せて飛べるほど上手くない。エペルやジャックは一緒に乗るのが怖いし、セベクもちょっとだけ信頼できない。だから、この世界でいろんな魔法は体験してきたけれど、空を飛ぶことだけはまだ経験したことがなかった。「へぇ……でも何で俺がお前を食うと思ったんだ?」「え……ライオンだから?」「……人間を食うわけねぇだろ」「え? 人間ってわかってたんですか? っていうか私の言葉通じてたんですか!?」「通じるもなにも……鳥語がわからねぇワケねぇだろ。そもそもお前、人の言葉で喋ってたしなァ」「そ、そうなんですか!」「ピーピー鳴いてやがるのに聞こえてくるのは人間の言葉だから一瞬俺の頭がおかしくなったのかって疑った」びっくりさせやがる、と呆れたように溜め息を吐いたレオナ先輩は、私の足がちゃんと箒に着くように姿勢を調整した。少し安定したけれど、グッと近くなった距離にドキドキしてしまって思わず顔を俯ける。「で? なんでお前はそんなヘンテコな魔法を二重に掛けられて空から落っこちてきたんだ?」「え? 二重? どういうことですか?」「気付いてねェのか? ただの変身魔法じゃねぇ。お前が掛けられたのは自分を鳥だと認識する魔法と、周りにお前を鳥だと誤認させる魔法。草食動物どころか健気な小鳥にでもなりたかったのか?」「そ、そんなわけないじゃないですか! 目が覚めたらこうなってて……」何がなんだか、とレオナ先輩を見上げられないままもごもごと続ける。制服じゃなくて、体操着を着ているからか、先輩の少し高い体温が近く感じる。恥ずかしくてどうにかなりそうだと思っているうちにまたぎゅっと腰を抱き寄せられて、居心地悪くどうにもできなかった両手がレオナ先輩の身体に触れる。自然と預けてしまう体重をどうしたらいいのかわからなくてあわあわしていると、ちゃんと捕まっとけ、と余計に抱き寄せられてしまった。爆発した頭を動かしながら、油が切れたロボットみたいにぎこちない動きでぎゅっとレオナ先輩のシャツを掴む。「……また厄介な男に目を付けられたみてェだな? 本当にお前は」フン、と鼻を鳴らしてパッパと何かを払うように私の頭の上で手をヒラヒラさせた先輩は、私には見えない何かを集めるようにしてぎゅっと握り潰した。「本気でやるなら……認識阻害だけじゃなく記憶操作と洗脳までトコトンやんねぇとなァ」「へ?」「……そもそもお前は大人しく籠の中の鳥になるような珠じゃねぇだろ」ハ、と笑った先輩はそう小さく呟いて空を見上げた。「……さっき、空飛んだことねぇって言ったな?」意味がよくわからない会話の最後に続けられた問い掛け。その脈絡のない内容に首を傾げながらもこくりと頷いて返事する。そんな私の様子を見ていたレオナ先輩は、ニヤリと笑ってから私を抱き締めるようにして箒を急上昇させた。「ひ、ひゃぁ……」「落ちねぇよ。俺が支えてる」恐怖で今にも膝から崩れ落ちてしまいそうなのに、ぴたりとくっついた身体から伝わってくる体温が安心しろと言ってくれているようだ。次第に硬直した身体から力が抜けて、レオナ先輩へと体重を預ける。魔法の使えない私はどうやって飛んでいるのか皆目見当もつかないのに、優しい抱擁が不安を取り払ってくれた。「……あー……I can fly ! ……だったか?」記憶の糸を辿るように空に向かって叫んだレオナ先輩にカッと頬が熱くなるのを感じながらガバリと顔を上げる。聞こえてたんですか、と唇を尖らせると、レオナ先輩はハハッと楽しそうに笑った。「お前の空飛ぶ魔法の呪文だろ? ユウ」小鳥が飛ぶよりよっぽどいい世界を見せてやると囁いた先輩の横顔は、太陽の光を浴びてきらきら輝いて見えた。
鳥籠なんて似合わない



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