「多分、この辺りだな…」音を立てないように車から降りて、辺りを見回す。手に掴んだ馴染みの仕込みと紫穂に預けていた小型ワイヤーガンを握り締めて。目星をつけた空き倉庫に、そろりと足音を忍ばせて近付いた。キュン、と中を透視すると、どうやら一発目でビンゴしたらしい。飯塚が何かを見つめて、静かに笑いながら立っている。飯塚の側に檻のようなものがあって、その中に紫穂が寝かされていた。驚いたことに、それ以外には誰も居なければ、武器と思われる装備も見つからない。コイツ、一体何者だ?一人で紫穂を拉致ったっていうのか?まだ隠された何かがあるかもしれない、と一旦透視を止めて、携帯を操作する。【単独犯。倉庫の場所はF12。突入する】簡潔なメールを作成して、皆本に送信する。送信できたかの確認をする間も惜しい。そのまま携帯をポケットに突っ込んで、扉の前に立った。最近まであまり使われていなかった様子のノブは触れただけでキシリと音を立てた。ひとつ、深く息を吐いてから、扉のノブに手を掛ける。出来るだけ音を立てないように気遣ってみたものの、ドアの蝶番も錆び付いているのか、ギィーという嫌な音を立てて扉が開いた。「早かったね」埃の舞う静かな空間に、楽しげな声が響き渡る。間違いなく飯塚の声だが、以前聞いたときよりも胸糞悪い声色にヘドが出そうだ。「こう見えて、サイコメトラーだからな。てめぇの遺した痕跡を追ってきたんだよ」後ろ手に扉を閉めると、飯塚の辺りだけ照らされた照明が際立って、スポットライトのようにヤツの姿が浮かび上がった。背中を見せたままの飯塚に、一歩ずつ確実に距離を詰めていく。まるで人形のように動かない紫穂と飯塚に少しの恐怖を煽られながらも、手の中の仕込みを確認してゆっくりと間合いを詰めた。「貴方の能力も把握済みですよ。賢木ドクター…いえ、賢木修二特務技官」ゆるりと首を後ろに傾けて顔だけをこちらに向けた飯塚は、口角を上げて笑ってみせる。細められた目は、しっかりと俺を見据えていて。俺の仕込みの間合いギリギリまで近付いて、その視線を受け止めながら口角を上げてフンと鼻を鳴らした。「へぇ、よく知ってるな。てめぇはどこまで俺のこと調べ上げたんだ?」「調べられることなら全て、ですかね。」何て言ったって貴方は僕の恋敵ですから、と飯塚はクスリと笑みを溢している。その大胆不敵な笑みに余裕すらも感じて、飯塚について何も把握できていない自分の戦況の不味さを痛感する。「お前、一体何者だ?」思わず眉を寄せて飯塚に問い掛けると、ヤツはふっと笑ってゆっくりと口を開いた。「…我々はどこにでもいる。」「なッ!お前ッ?!」「正確には父と母が、ですけどね」「普通の、人々ッ!?」「僕自身は賛同してませんけどね。宗教みたいなものなんで、子どもを強制加入させる親もいるんですよ。」淡々と、まるで感情の波などないように、俯き加減の飯塚が告げる。つまらない、とでも言うように地べたに転がる石を蹴りながら、チラリと飯塚はこちらを見た。「僕はあの考え方、古臭くて嫌いなんです。エスパーを排除するなんて、もう時代遅れの発想もいいとこじゃないですか。」ねぇ、とまるで俺に同意を求めるかのような言い方に、眉をしかめて嫌悪感を返す。「俺はその排除される側だからな。アンタらの組織には散々酷い目に合わされてきてるんでね、同意を求められても困るな」「…それもそうですね。まぁとにかく、僕はあの人たちの考え方は古いと思ってるんですよ」石を蹴るのに飽きたのか、飯塚は紫穂が寝かされている檻に近づいて、紫穂の様子を覗き込むようにしゃがみこんだ。檻を掴んで、隙間から腕を伸ばして紫穂の髪をゆるゆると撫でている。さっきの言動と、今の様子のギャップに違和感を覚えて、じり、と足を踏み締めた。「…じゃあ、なんで紫穂を拘束した?」「何故って?好きだからですよ、彼女のことが。」「…お前、やってることがストーカーと変わんねぇぞ。わかってんのか?」「ストーカー、ね。心外だなぁ。」ははっと軽く笑った飯塚は、もう一度紫穂の髪を撫でてから、愛しいものを見る目で紫穂を見つめて立ち上がった。「エスパーは普通人に支配されてこそ、価値が上がると思うんですよね」「……は?」至極当たり前のことを言うかのような口調で飯塚は俺に向かって言う。あまりにも普通のことを話す様子で言うもんだから、うっかり聞き逃してしまいそうになった。エスパーを支配?普通人が?普通の人々も大概だが、お前の思想も大概ヤベェじゃねぇか。「力を暴走させたり悪いことに使ったり。ロクなヤツいないでしょ?だから、人類が保護して従わせてやらないと。」「…俺たちは野性動物か何かと一緒だって言いたいのか?」「違うんですか?理性のない生き物は人間なんて言えませんよ?」何を言ってるんだ?と不思議そうな顔で俺を見ている飯塚に、強烈な嫌悪感が沸いてくる。結局、俺たちを人間として見ていない時点でコイツも普通の人々と大差ない。まぁ、そんな両親の元で育ったのなら、仕方のないことなのかもしれないが。だからといって、許せる話じゃないわけで。ぎりり、と奥歯を噛み締めながら、飯塚を睨み付ける。俺の視線を受け流すように目を細めた飯塚は、もう一度紫穂に視線を戻して呟いた。「それに…」とても愛しそうに目を細めながら飯塚は笑う。「綺麗で美しいものは、鳥籠に入れて飾っておくのが一番でしょう?」ふふ、と笑いながら飯塚は檻に触れた。カシャン、と檻が音を立てて存在を主張する。よくよく見れば、髪や靴で隠れていたが、紫穂の首、そして足首にも華奢で豪華な首輪が掛けられていて、細くて飾りにしかならないような鎖に繋がれている。拘束するつもりにしてはあまりに華奢な造りのそれらに、コイツが本気で紫穂を人間として見ていないことが取れて、ぞくりと悪寒が走った。「…お前、紫穂を愛玩動物にでもするつもりだってのか?」「愛玩動物だなんて…彼女には、僕に従属してもらいます。それから、僕の奥さんにする」「…お前、頭イカれてんな。」「高超度エスパーである三宮さんを従わせてこそ、僕も彼女もランクが上がるってだけですよ。」僕は人類にとっての偉業を成し遂げるんだ、とまるで夢を語るようなノリで嬉しそうに喋る飯塚に、真性のヤバさを感じてぶるりと身体が震えた。思わず一歩後ずさりしそうになるのを何とか持ちこたえる。手にある仕込みを握り締めて、逆に一歩前に足を踏み出した。「俺たちは人間だ。動物なんかじゃねぇ。紫穂をペットになんかさせねぇ!」じり、と踏み出した足に体重を掛けて、いつでも飛び掛かれるように身構える。すると、飯塚は俺の方を向いてクスリと笑った。「ああ。何なら、ドクターも一緒に飼ってあげてもいいですよ。三宮さんとつがいにはさせませんけど」それでもよければ、と笑う飯塚に、怒りがこみ上げてくる。ぐっと足に力を入れて、両手に構えた仕込みを伸ばしながら飛び掛かった。「…お断りだなッ!」ガキン、と金属がぶつかり合う音が響き渡る。ギリギリと金属同士が擦れ合う音に奥歯を噛み締めながら口角を片側だけ上げて笑ってみせた。「手甲を仕込んでるなんて、俺の戦術も知ってるらしいな!」ぐい、と体重を掛けると飯塚は少し眉を寄せながらもニヤリと笑う。体格は俺の方が上。それでも競り負けないだけの鍛え方。触れてみて透視めた、コイツの使う戦術。バッと一歩分の距離を退いて、もう一度仕込みを構え直す。「…合気道か。なかなか鍛えてんじゃん」「それはどうも。流石に棒術使いと戦うのは初めてですけどね」「へぇ…その割には落ち着いてんじゃん」飯塚も間合いを取ってゆっくりと構えの姿勢を調える。じ、と視線をそらさずお互い睨み合って、次の手を待つ。合気道が相手なら、体格の差は関係ない。攻撃をいなされちまえば終わりだ。ただ、さっきの攻撃の受け身といい、透視み取った内容といい、飯塚は実戦経験は少ない。ならば、経験値の高い俺にも勝ち目はある。つ、と頬に汗が伝う。焦らなければ勝てる。何としても紫穂を無傷で救い出さなければ。「飯塚クン。お前、本当に紫穂を飼い慣らしたりできると思ってんの?」「…当たり前じゃないですか。僕に出来ないことなんてない」「見誤ってんな。紫穂はそんな安い女じゃねぇよ」ふん、と言い放つと、飯塚は少し苛ついたように眉を寄せた。「…どうだか。女の子なんて見た目さえ良ければ中身なんて皆一緒じゃないか」「…わかってねぇなぁ。」「なんだと?」「まだまだ若造だな、君は。」「なにッ!」ぎり、と音がしそうなくらいに顔を歪めた飯塚に、煽るように顎を上げて、ふん、と笑ってやる。「女の子ってのは、男の色に染まるように見せかけて、自分の色に染めちまうもんなのさ」切っ先を揺らして、更に飯塚を煽る。「それがわかってないようじゃ、君もまだまだケツの青いガキってこと」飯塚が苛立っているのが手に取るようにわかる。普通の中に生まれた、少しだけ他より秀でた才能。それをへし折られることもなくぬくぬくと育ってきたお坊ちゃんだからだろう。全てを手に入れられるという万能感を身に付けて、こんな風に煽られることもない人生。紫穂だって簡単に手に入れられると目論んだんだろうがそうはいかない。紫穂自身、そんなに簡単な女じゃないし、俺だって黙ってない。そう簡単に横恋慕に負けてたまるかってんだ。飯塚はじりじりと今の膠着状態にしびれを切らし始めている。挑発に乗ってくれたならこっちのもんだ。ふわりと大きく切っ先を揺らして攻撃を誘う。我慢しきれなくなった飯塚がふわりと身体を沈めて攻撃の体勢を取った。下から伸びてくる手を横にかわしてそのまま胴を狙う。そこまでは飯塚も読んでいたのか腕と手で攻撃を受け止めて攻撃をいなされた。くるりと腕を回転させて、仕込みを絡め取られる。飯塚がにやりと笑ったのを見て、一歩更に間合いを踏み込んで俺もニヤリと笑い返してやった。仕込みを投げ捨てて飯塚に向けて思い切りストレートを狙う。俺の動きを予測していなかった飯塚が怯んだところに、綺麗に右ストレートが決まった。弾け飛ぶように倒れこんだ飯塚は、ズザッと音を立てて後ろに滑っていく。素人相手にやり過ぎたか、と思いながらもすぐに仕込みを拾って飯塚が立て直さない内にカン、と首元に仕込みを突いて軽く胸を踏んづけた。ぐっと俺の足首を掴んで抵抗しようとする飯塚に、少しだけ体重を掛けて抵抗を無駄にしてやる。ぐぅっ、と唸り声を上げている飯塚に、にたり、と笑ってみせた。「俺にボコボコにされるのと、バベルの特派チームにボコボコにされるの、どっちがいーい?」弓なりに目を細め、首を傾げて飯塚に聞いてやる。飯塚は苦しそうに顔を歪めてこちらを見上げた。唇の端に血が滲んで、とっても痛そうだ。飯塚クンも、痛くて喋れないのか口を動かしては顔を歪めている。さて、どう料理してやろうかと考えあぐねていると、外が騒がしくなってきた。もうお出ましか、と少しだけ残念に思っていると、聞き慣れたけたたましい声が静かだった倉庫の中に響き渡った。「サイキックーーーーー強硬突入ッ!!!!!」バシャーン!と景気良く倉庫の窓全てが割れる。いやいや、薫ちゃん。君もだいぶん大人になったんだから、そろそろ状況考えられるようになろう?これ、中にいる人、傷だらけになっちゃうよ?何とか服で顔を覆って硝子片の襲撃から逃れる。紫穂のところに硝子片が飛んでいないことを何とか確認してほっとした。「コラーッ!薫ッ!中の状況を考えろッ!紫穂が硝子で傷だらけになってもいいのかッ!」いや、皆本クン?俺たちの心配もしてくれる?どうやら飯塚も何とか無事なようで、傷ひとつついていない。その辺は流石薫ちゃん、といったところか。「賢木ッ!無事か?!」「おうよ…ぶっちゃけ今ので死ぬかと思ったけどな」「えへへー、先生ゴメンゴメン。それより紫穂はッ?!」「まだちゃんと確認は出来てないけど、多分気を失ってるだけだ。それより先にコイツの制圧を頼む」オッケー任せて!と薫ちゃんが言ったのと同時に足を離す。ミシリ、と飯塚に重力が掛かって、うぐっと声が上がった。御愁傷様、と心の中で手を合わせながら、皆本が飯塚に手錠を掛けたのを横目で確認しながら、紫穂が寝かされている檻へと近付いた。鍵は簡単な仕掛け錠。こんなのでレベルセブンの紫穂を閉じ込められると思う辺りが平和だというか。キュンと力を発動させて、仕掛け錠を解錠した。「紫穂」優しい声で呼び掛けても反応がない。出来るだけ荒っぽくならないように扉を開けて、紫穂に駆け寄った。青白い顔でぐったりと横たわっている紫穂をゆっくりと抱き起こす。「先生、紫穂大丈夫なのッ?」「今透視てる」キィンと紫穂の容態をスキャンすると、顔はだいぶ青いが気を失ってるだけのようでほっと安心する。よほど怖い思いをしたんだろう。なかなか目が醒めないのも頷ける。チャラチャラとした首輪と足輪を、紫穂の柔い皮膚に傷をつけないように気を遣いながら、丁寧に外していった。檻の地べたに寝かされていた身体は冷えきってしまっている。生体制御で少しずつ暖めてやりながら、もう一度、紫穂、と声を掛けた。「ん……」ふるり、と目蓋を震わせて、ゆっくりと紫穂が目を開ける。「せ、んせ……?」薄く開かれた目でぼんやりと俺を捉えて、掠れた声で紫穂が俺を呼んだ。抱き潰してしまわないように力を加減しながら、ぎゅうと紫穂を抱き締める。「助けに来たよ、紫穂」「せんせ……」そっ、と俺の服を掴むように手を沿えた紫穂の手を優しく掴んで俺の頬に当てる。「無事で、よかった」ぎゅ、と目頭が熱くなるのを何とか誤魔化して紫穂に優しく微笑む。うん、と紫穂も優しく笑って。「ちょっとちょっと!二人の世界に入るんは後からにしといてや!」はぁー、といううんざりした溜め息と一緒に葵ちゃんが声を掛けてきて、二人でビクリと肩を震わせた。それが何だかおかしくて、クスクスと二人で笑い合う。「早く出ようぜ、こんなとこから」「うん」紫穂を横抱きにして、窮屈な檻の中から外へ出る。まだ身体が辛いのか、紫穂は大人しく抱かれていて。拘束された飯塚が悔しそうに俺たちを見つめていた。「僕は負けた訳じゃない」特殊部隊が突入してざわつく空間に、飯塚の声が響いてシンと静まり返る。後ろ手に拘束されて連行されようとしているのに、恐ろしく力強い視線を向けてくる飯塚に、俺も負けじと睨み返す。「勝ちとか負けとかじゃねぇんだよ。選ぶのは紫穂だ」はっきりとした口調で返してやると、また悔しそうに飯塚は顔を歪めた。「っていうか、アンタそれ負け惜しみでしかないで?」「そうそう!負け犬の遠吠えってやつ?」「コラ、お前ら、犯人を煽るな」口々に飯塚に鋭い指摘を繰り出す二人を皆本が嗜める。でもそんな皆本も、同情するような憐れみの表情を向けていて。「僕が、負けるわけ、ないんだ」ぐっと悔しそうに顔を歪めて苦々しげに飯塚は呟いた。挫折のない人生ってのを生きてきたんだろう。誰もが羨む、普通の、そしてちょっとだけ特別な人生。思いっきりそれをへし折るつもりで立ち向かったけど、大学生のガキ相手にちょっと本気出しすぎたかな、と少し申し訳ない気持ちになっていると、もそり、と腕の中で紫穂が動いた。「降ろして、先生」「え?でも」「私なら大丈夫」だから、降ろして、と強い意思で言う紫穂に、心配しながらもゆっくりと足を地面に着けてやる。一瞬よろめいたものの、しっかりと自分の足で立った紫穂は、しっかりと飯塚を見据えて言った。「飯塚先輩」そう大きくない紫穂の声が倉庫中に響き渡る。その場にいた殆どの人間が紫穂と飯塚の様子に注目していた。「私、好きな人がいるんです。」紫穂が飯塚に向かって告げる。飯塚は、黙って紫穂を見つめていた。「その人は、私を大事に、大切にしてくれるから。私も大切にしたいんです。」俺は、紫穂の一歩後ろで、黙って二人を見守ることしか出来なくて。「だから、先輩の想いには答えられません」凛とした紫穂の声が、静かな空間を支配する。飯塚は悔しそうに顔を歪めて、紫穂から目をそらした。紫穂がどんな顔をしているのかは、俺の位置からは見えない。「…僕の、負けだよ」吐き捨てるように言って口元を歪めて笑った飯塚は、俺をチラリと見遣ってからフンと鼻を鳴らしてスッと表情を消した。だから、勝ちとか負けとかじゃねぇんだよ。バベルの特殊部隊に連行されていく飯塚の背中を見つめる。あくまで、選ぶのは紫穂なんだ。お前は紫穂に選ばれなかったってだけの話。微動だにしない紫穂の後ろ姿をじっと見つめる。紫穂の周りに、薫ちゃんと葵ちゃんが寄ってきて、それぞれに心配の声を掛けている。ふわりと笑う横顔が見えて、少しだけホッと安心して溜め息を吐いた。これで事件は一段落なんだろうけど、俺の気持ちは穏やかではなくて。紫穂は、あの紫穂が、皆の前で言った。好きな人がいる、と。ソイツを大事にしたい、とも。ねぇ、それって誰のこと?俺のことって思ってもいいの?今の俺は、いつもみたいに軽い調子で、たったそれだけの事を聞けないくらい、女々しくなってしまっていた。
イエローマゼンダ・シンドローム



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