イエローマゼンダ・シンドローム

疲れた。本当に疲れた。今日は一週間の中で一番長丁場になる、朝から晩まで授業が詰まっている日。しかも、最後の授業が長引いて、とっくに授業の終了時間は超えてしまっている。きっともう先生は迎えに来てくれている。せめて、連絡だけでもしたい。焦る気持ちを抑えながら片付けを進めていく。何とか片付けを終わらせて、残っている皆に挨拶をしながら足早に教室を出た。廊下を小走りしながら鞄から携帯を取り出す。思った通り、先生からのメールが届いていた。内容を確認して、返信を打つ。【授業延長してる?いつもの場所で待ってる。気を付けろよ】【ごめんなさい。今終わったところ。すぐに行くわ】心配が伝わってくるメールの内容に、クスリと笑みが零れる。鞄を抱えて先生の待つ校門へと急いだ。校舎を出たところで一度周りを見回すと、建物の影からゆらりと人影が現れて。「おつかれ。」「飯塚、先輩」電灯の明かりに照らされた先輩が、すっと私に近付いた。妖しく揺れる影に、つ、と冷や汗が伝う。近付いてきた先輩から逃れるように、一歩後ずさった。「随分警戒されちゃってるみたいだね?」「…当たり前です」「僕はただ、遅いから校門まで送ってあげようと思っただけなのに」酷いなぁ、と笑う先輩は、まるで他意などないとでも言うかのように腕を広げて見せた。「賢木ドクターの言い付けかい?僕を警戒しろって」「…先輩には関係ありません」「…随分嫌われちゃったみたいだ」ぎゅ、と肩に掛けた鞄の持ち手を握る。先生から借りたワイヤーガンはいつでも取り出しやすい場所に忍ばせている。やれやれ、と腰に手をついた先輩は、一度顔を俯けてから、柔らかい物腰で私を見つめた。「今日は何もしないさ。ただ、心配だから賢木ドクターのところまで送らせてよ」ね、何もしないから、と言う先輩を訝しげに見つめ返す。男の言う何もしない、なんて信用できない。何とか隙を見て逃げ出さなくては。ここからなら、全力で走っても先生がすぐに見つけてくれるはず。校門までの最短ルートを頭に思い描きながら、先輩の隙を探す。「わかったよ。隣も歩かない。君を校門まで歩くのを、側で見守るだけにするから。」それならいいでしょ?と首を傾げる先輩に、気を緩めさせてから逃げる手段を取ることに決めた。「…わかりました。私の半径五メートル以内に近付かないのであれば、構いませんよ」先輩から五メートル強の距離を取って、ゆっくりと歩き出す。あの角を曲がってからが勝負だ。念のため、鞄に手を忍ばせてワイヤーガンを確認する。ふぅ、と息を吐いて、角を曲がる瞬間、全速力で駆け出した。「三宮さんっ!」呼ばれても振り返ることをせずに、ただひたすら走り続けた。薫ちゃんみたいに足が速ければいいものの、私はそこまで足が速い方じゃない。飯塚先輩の男の足だと、すぐに追い付かれるかもしれない。でも、あの角さえ曲がれば私の姿が先生の視界に入るはず。あと少し、あと少し、と息切れを誤魔化しながら走り抜ける。少しでも早く先生の視界に入りたくて、曲がり角に向かって腕を伸ばす。あとほんの一歩足を前に出せば、というところで腕を掴まれて後ろに引っ張られた。「なっ!」「シッ!静かに…」後ろから口許を押さえられて壁際に追いやられる。その強い力に、本能的にこのままじゃマズイと状況を判断した。「酷いじゃないか。逃げるなんて」耳許で囁いたのは、間違いなく飯塚先輩で。今まで聞いたことのない冷たい声で、一瞬ヒヤリと背筋が凍ったけれど、バレないように何とか空いている手でワイヤーガンを探り出す。「僕ってそんなに信用ないかい?」今にも唇が頬に触れてしまいそうな距離に嫌悪感を示しながら、何とかワイヤーガンを逆手に持ってスイッチに指を掛けた。片手は私の腕、もう片方は私の口を押さえているのだから抵抗は出来ないはず。そっと先輩の身体を探り当ててスタンガンを当てた。その瞬間。「物騒なモノ持ってるみたいだね?」腕を捻られて、スイッチの入ったスタンガンが私に向けられる。「どうしてッ!」バチバチッ、と電撃が走る。強烈な痛みに気が遠くなっていった。「僕は君が特務エスパーだって知ってるし、警戒は常に怠らないよ」ぐったりと先輩の身体に身を預けて、先輩の言葉を聞き流す。「君の王子様は助けに来てくれるかな?」「う、う…」ぐいっと顎を掴まれて、身体を起こされる。声を出すことも出来なくて、されるがまま身体を動かすこともできず、抵抗できない。助けて、先生。届かない声を心の中で呟いて、そのまま意識を手放した。

コメント

タイトルとURLをコピーしました