イエローマゼンダ・シンドローム

「紫穂ちゃん、おつかれ」「遅くなってごめんなさい!」「大丈夫だよ。行こうか」先生に促されるまま、助手席に乗り込む。あの事件があってから、局長命令で、私の通学事情が送迎必須になった。殆どは先生が送り迎えしてくれるけど、どうしても無理な時は皆本さんが代わってくれたりで遣り繰りしてくれている。忙しいのにかなり無理させているんじゃないかと思うけれど、堂々と先生を独り占めできる権利を手に入れて実は少しだけ嬉しい。なのに。「じゃあ、また後で」「…うん」以前はあった触れ合いも、駐車場から二人で歩くこともなくなってしまって。今日もバベルのエントランス前で車を降りて、受付で待ち合わせしている薫ちゃんと葵ちゃんと合流する。「紫穂おつかれー」「お待たせ、薫ちゃん、葵ちゃん」「…?どないしたん?そんな暗い顔して」「あー、うん。ちょっと、ね。」この二人相手に隠せないとわかっていながらも、素直に話せる内容ではない。だって、正式に付き合っていたわけじゃないくせに、触れ合いが無くなってしまって寂しい、なんて。お付き合いしていたのならまだしも、付き合っていたわけじゃないのに、手を繋いだり、当たり前のようにキスを受け入れたりしていたことの方がおかしいわけで。そう、つまり、ちゃんとした、普通の状態に戻ったのだ。何もおかしいことはないはずなのに、それでも私は寂しいとモヤモヤしている。「はっはーん?わかった!紫穂、寂しいんでしょ!」「えっ!?」「そりゃ暗い顔にもなるわなぁ。あんなにベッタベタやった先生が急に距離取るようになったんやもん」「なっ!?」わかる、わかるでぇ、と頷く葵ちゃんと、ニヤニヤしている薫ちゃんに挟まれて、受付のソファに座らされる。腕を絡め取られて逃げられない。心情を正しく言い当てられてしまって、冷や汗が頬を伝った。「アレちゃう?流石にあんな事件あったから遠慮してるとか」「いやいや、先生そんなキャラじゃないでしょ。寧ろグイグイ紫穂のこと甘やかすタイプじゃん!」「それもそうやな…じゃあ、何でやろ?」私を置いてけぼりにして、始められる二人の会話。うーん、と考え込んでいる二人の間で、私も改めて考える。確かに、先生が遠い存在になったのはあの事件の日からだ。それまでは毎日会えていたわけじゃないのに、とても近い存在だった。なのに、ほぼ毎日会えている今の方が遠く感じるようになってしまった。心に距離がある、というか、触れられない位置にいる、というか、上手く言えないけれど、距離感が変わってしまった。まぁ、お付き合いしていないんだから、当たり前の状態になっただけ、なんだけれど。「あ!わかった!」唐突に声を上げた薫ちゃんの声が受付中に響く。私と葵ちゃんでそれを抑えて、シーっと口許に指を立てる。「なに?どうしたの、薫ちゃん?」「私、わかっちゃった。先生がどうして彼氏面しなくなっちゃったのか!」「はよ、もったいぶらんと結論を先に言いぃや」「ズバリ!押して駄目なら引いてみろ!ってヤツじゃない?!」「うわ!出た!大人の駆け引き!」盛り上がる二人の間で、その言葉がストンと胸に落ちてくる。でも、それって、あんなに全身全霊で好きと伝えてくれていた人が引いてしまったってことは、もう諦めたって風にも取れるんじゃないの?ふと、浮かんだ考えに、愕然とする。それなら、あの優しいキスも、優しい手もなくなって、遠くなった距離にも説明がつく。以前と変わらず、優しく笑ってはくれるけれど、遠くなってしまった心の距離。これは、優しい先生に甘えすぎていた罰だ。「…駆け引き、じゃないと思うわ」「え?そうかな?」「もう、諦めちゃったのよ。多分」自分で言葉にすると、余計に実感する。いつまでも先生に応えなかった、私が悪いんだわ。「いやいやいやいや!それは絶対ないって!」「せや!有り得へん!地球が崩壊しても有り得へん!!!」二人が口を揃えて、それはない!と叫んでいる。その勢いに圧されて若干引いていると、二人に腕を掴まれて立ち上がらされた。「行くよ!紫穂!」「もうこれ以上グダグダなんはアカン!」「告白しちゃえ!」「せや!今がタイミングなんや!」「えっ!ちょっと待って二人とも!」「待たない!」「待たへん!」グイグイと二人に腕を引っ張られて廊下を進んでいく。抵抗を許されず、ただひたすら連行されて何処かに連れていかれた。辿り着いたのは皆本さんの研究室。「え?何で皆本さんの部屋なの?」「アンタ知らんのん?今賢木先生、この部屋に入り浸っとるんやで」「そーそー。仕事してる時以外は殆どここにいるんじゃないかな?」二人は言いながら扉にピタリと貼り付いて中の様子を窺っている。最近、先生の研究室が留守がちだったのは、そういうことだったのか、と納得して、私も扉に手を当てる。キィンと中を透視てみると、確かに皆本さんと先生が居て。「もういい加減にしろよ、賢木」「だって…無理だって。あんなん聞いちまったら」「だから、自信持てって。大丈夫だって言ってるだろ?」「根拠がないじゃん…お前のこと言ってるかもしれねぇし。」「あのなぁ…あの場にいた全員が、それは違うって言うぞ?」「でも、俺のことって言ってなかったじゃん!」部屋の中に透視えたのは、先生と皆本さん、二人のやり取り。薫ちゃんと葵ちゃんもどうやら扉越しに聞き取れたようで。「まーたやってるよ」「このやり取り、もう何回目やろ?」はぁ、と溜め息を吐いてやれやれと首を振っている二人にどういうこと?と首を傾げていると、がしりと腕を捕まれて二人がずずいと迫ってきた。「この状況を好転させられるのは、紫穂、アンタだけや」「そうそう!早くあの女々しい先生を何とかして!」「えっ?なにっ?どういうこと?」「はよぅ、付き合ってまえってこと!」「思い切り気持ちぶつけちゃえ!」バァンと勢いよく扉が開かれて中に放り込まれる。つんのめりそうになりながら何とか体勢を整えると、バチリと先生と目が合って。「し、紫穂ちゃん」驚いた顔の先生が私を見て、ぎこちなく笑った。「あッ、あー。皆本に用事?じゃあ俺部屋戻るわ」そそくさと立ち去ろうとする先生にツキリと胸が痛む。ほら、やっぱり。この気まずさは、そういうことなんじゃないの?部屋から出ていこうとする先生が、私の横を通り過ぎようとする。そこに薫ちゃんの声とギュンと力を発動させる音が聞こえた。「サイキックー金縛り!」「うッ!」ガチン、と先生は身体の動きを止めて、無理矢理私の前に向き直させられる。久し振りに見る真正面からの先生に、ドキンと胸が高鳴る。「薫ちゃん?!何するんだッ!?」「先生も往生際が悪いッ!」「せやせや!いい加減紫穂とちゃんと向き合い!」「た、助けて皆本ッ」「賢木、いい加減覚悟を決めろ」はぁーと皆本さんがジト目で先生を見ている。薫ちゃんと葵ちゃんはキリキリと先生に詰め寄っていて。「さぁ紫穂!女は度胸や!言うてまい!」葵ちゃんが鬼気迫る勢いで私に振り返る。「紫穂!たった一言!好きって言うだけだよ!」くわっと目を見開いた薫ちゃんの言葉に、シンと部屋の空気が静まり返った。「…薫が言ったら意味ないだろ」「紫穂の言葉取ってまいなや…」あーあ、と呆れる二人と、え、あれ、と戸惑う薫ちゃん。そんな三人を他所にして、私と先生はじっと見つめ合っていた。二人とも、じわじわと頬を赤く染めながら。シンとした部屋に、時計のカチリという音が響く。その音に先生はハッとして表情を改めた。「紫穂ちゃん」ぎゅっと眉を寄せて、苦しそうに顔を歪めた後、俯いて軽く首を横に振ってから、先生は笑った。「紫穂ちゃんは…皆本が好きなんだろ?」笑っているのに、何だか苦しそうに眉を寄せている先生が、更に続ける。「今まで、付きまとってゴメンな。大学の送り迎えも、嫌だったら皆本と代わってもらうからさ」ホント、ごめんな、と先生は頭を掻きながら呟いた。私は先生の言っている言葉の意味がわからなくて、頭が真っ白になっている。「お、おい、賢木。そっちに覚悟決めてどうする!?」「ホンマや先生!何有り得へんこと言うてんのん!?」皆本さんと葵ちゃんが口々に先生に詰め寄る。その後ろで薫ちゃんはふるふると怒りに震えていた。「もーーーーー!先生も紫穂もッ!本気で好きなんだったらちゃんと言うッ!なんでそんなに好きなのに、ガーッといっちゃわないのッ!悩むだけ無駄ッ!当たって砕けろッ!」いや、砕けたらアカンて、という葵ちゃんの鋭い突っ込みが入る。皆本さんは今にも飛びかかりそうな勢いの薫ちゃんを押さえつけていて。先生は驚いたように目を真ん丸に開いていた。私は。薫ちゃんの言葉に背中を押されて、先生に飛びついて。「やだ」「へっ?」ビクリ、と震えた先生に、ぎゅう、と抱きつく。「先生が好き」先生の胸板に額を寄せる。くぐもった声で想いを重ねた。「私は、先生が、好きだよ」先生の、ひゅっと息を飲む音が真上で聞こえる。「私から離れたら、許さない、んだから」手が震える。それを隠すように、ぎゅうっ、と力いっぱい先生を抱き締めた。「先生が、好き」もう一度、自分の想いを吐き出す。先生の顔を見る、勇気が出ない。想いを伝えるだけが、私の精一杯だ。怖がって前に進むことが出来なかった、私の精一杯。もそり、と先生が腕の中で動いて、そろそろと私の背中に腕が回る。恐る恐るだけれど、優しいその手つきに、ふるりと身体が震えた。「紫穂ちゃん」そ、と頬に手を添えられて、上を向かされる。そこにはいつもの優しい笑顔の先生がいて。「俺も、紫穂ちゃんが好きだよ」ゆっくりと顔を近付けてくる先生に、そっと目蓋を閉じる。「キス、していい?」ここに来てわざわざ聞いてくる先生に、思わず目を見開いて。触れるか触れないかの位置で待っている先生に、目をそらしながら、バカ、と答えた。「聞きたいんだ」額をこつりと合わせて先生が甘えたようにせがむ。先生の長い前髪がさわさわと私の頬を撫でていって。ねぇ、教えてよ紫穂ちゃん、と呟いた先生の首に、そろそろと腕を絡める。「…キス、したい」ぽそり、と小さく呟くと、至近距離でふっと笑った先生がぐっと最後の距離を詰めた。久しぶりに降ってきた優しいキスに、うっとりと目を閉じる。きゅ、と腕に力を入れて先生の首に抱きつくと、先生もぎゅっと抱き締め返してくれて。甘く蕩けるようなキスに、二人で酔いしれた。「おアツいねぇ!お二人さん!」「世界中が嫉妬してまうな!」「…君ら、人前でよくそんなのできるな」掛けられた声にハッとして思わず離れる。ひゅーひゅーと私たちを冷やかす薫ちゃんと葵ちゃん。その横で顔を赤くして顔をそらしている皆本さん。それぞれの様子にかぁぁっと頬の熱が上昇する。咄嗟に顔を隠すように手のひらで覆って先生を見上げると、苦笑いしながらも私の肩をそっと抱いて。「俺と付き合ってくれる?紫穂ちゃん」私の耳許で先生が囁く。甘い声で問い掛けてくる先生に、コクリと頷いた。「やったね先生ッ!」「おめでとうやでホンマ!」わぁっ、と薫ちゃんと葵ちゃんが先生に駆け寄って先生の背中をバシバシと叩いている。皆本さんもそんな私たちを見てにこにこと笑っていた。「いだッ、痛いって!薫ちゃんッ!」先生は私から一歩離れて薫ちゃんの平手を受け続けている。「そりゃーねー!私の紫穂を遂にモノにしたんだもん!」これくらいの制裁は受けてもらわないとね!と薫ちゃんはバシリと最後に一発思い切り先生の背中を叩いた。その勢いに圧されて先生は倒れ込みそうなくらいに前のめりになる。何とか耐えて体勢を整えると、先生は顔をしかめて薫ちゃんを見上げた。「…応援してくれてたんじゃねぇの?俺たちのこと」「それはそれ!これはこれ!」薫ちゃんは気持ちいい笑顔で先生に言う。先生はそれに苦笑いしながら返した。「君らの仲を割いたりはしないって。ってかそんなん無理だし」「そーだよね!っていうか!私の紫穂を泣かしたら許さないからねッ!」「泣かさないし、幸せにする。」はっきりとした口調で先生は薫ちゃんに誓った。シン、と空気が静まって。葵ちゃんが、眼鏡の位置を直しながらニヤリと笑った。「賢木先生、それ、プロポーズなん?」「はッ?!」「だって、紫穂のこと、幸せにするんやろ?」「そのつもりだけど!プロポーズのつもりはっ!」「紫穂はまだ嫁には出さないよッ!!!」「お前が決めることじゃないだろ、薫」わちゃわちゃと私抜きで始まってしまった会話に、ふふ、と笑ってから先生の腕を取ってにっこりと微笑んだ。「今のがプロポーズだったら、許さないから」うふ、と笑うと、皆がピシリと固まった。「…ぜ、善処します。」先生は、少しだけ顔をひきつらせながら笑ってみせた。

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