「…のみやさん!三宮さんっ!授業始まっちゃうよっ!」「…へ?」誰かに身体を揺すられて、ガバリ、と身体を起こす。どこなの、ここは。目の前で不思議そうに私の顔を覗き込んでいる彼女は一体誰なの?どうやら私は学校と思しき場所で、机に突っ伏して眠っていたらしい。ということは、つまり、先生の記憶の中に取り込まれた、ということだろう。身体に触れると、しっかりと実感があって、これがただの仮想空間ではないことがわかる。身に付けているものは見たこともないセーラー服。女子全員が同じものを着ているから、恐らく、先生が通ってた高校の制服なのだろう。男子は詰め襟、先生の制服は学ランだったのね。周りの生徒の体格から、ここは高校にあたるのではないかと予測する。ご丁寧に机の中に教科書が入っていたから確認してみると、やはり、高校の内容のものばかりが出てきて。ここは、先生の高校生の頃の記憶の中なんだわ。確信を持って、教室の中をキョロキョロと探してみても、当の本人らしき姿は見つからない。そもそも、私は先生の高校生の頃の姿なんて知らなくて。でも、きっと私なら見付けられるはず。「ちょっと気分が優れないみたい。次の授業、保健室で休んでくるわ」先程声を掛けてきたクラスメートと思われる少女に伝えて教室を出る。所詮、先生の記憶の中だし問題ないか、と廊下に出てすぐ壁に手を当ててサイコメトリーを発動させた。学校に来ていなければ意味ないけれど、ここで私が目覚めたということは、学校の何処かに必ず先生はいるはずだ。キィィィン、とフルパワーで学校の全てを透視していく。各フロアを丁寧にスキャンして、屋上までたどり着いたとき、見慣れた髪形の少年が一人、寝そべっているのが透視えた。いた!見つけた!壁から手を離して、屋上に向かって走り出そうと振り返ると、数人の生徒がヒソヒソと陰口を叩いているのが耳に届いた。「見た?今の…」「うん。エスパーだよね?サイコメトリー?」「あぁ、あの天才と一緒だ」「そうそう、賢木くんもサイコメトラーだよね」「怖いよね、近付けないよ」「ホントホント。何を読まれるかわかったもんじゃない」口々に喋っている生徒たちを一瞥する。あまり、先生の高校生活は明るいものではなかったのかもしれない。公然とエスパーに対して暗い気持ちをぶつけてくる生徒たちの間を、ピンと背筋を伸ばして潜り抜けていく。こんな中で、先生は一人、戦ってきたのね。昔、先生が言っていた、ノーマルの世界で生きてきたという話は、想像していた以上に壮絶だったのかもしれない。喧騒から逃れるようにタタッと廊下を駆けて、屋上へと向かう。久々に聞いたエスパーへの言葉の暴力に、暗い気持ちになりながら階段を駆け上がった。屋上の扉が見えて、錆びた取っ手を掴んでから深呼吸をする。この先に、先生がいるはずだ。上がる息を整えて、ギッ、と重い扉を押し開ける。途端、ビュウと吹いた風に髪が煽られて、視界が悪くなって。乱れた髪を撫で付けて前を見ると、一人の男の子が空を見ながら寝転んでいた。緊張が表に出ないように、ゆっくりと、近付いていく。一歩ずつ、歩を進める度に、鼓動が速くなっていくようだ。見慣れた髪形に、知っている顔を少し幼くした顔。知っているよりも、体格も少し小柄で。初めて見る高校生の先生に、思わず言葉が詰まる。「…探したよ、センセ」掠れた声で呟くと、高校生の先生が、ゆっくりと目を開けた。「…君、誰?」いつも私の姿を映してくれる深い色の目がそこにあって。先生はぱちくりと不思議そうに私を見ている。無事、出会えたことにホッとして、涙が溢れそうになる。何とかそれを堪えて、先生に掛ける次の言葉を探していると、学校のチャイムが鳴り響いた。「…授業、受けなくていいの?センセ」「出席日数さえ足りてれば何とかなるよ」そう言って身体を起こした先生は、私を振り返る。私の知っている先生よりも、幾分幼い雰囲気を醸し出す先生は、恐らく高校一年生くらいだろうか?ちょんちょんと跳ねた独特の癖毛だけは変わらずに、顔の造りが幼くて、すごく可愛らしい。思わず高鳴る胸を押さえながら、先生を見つめ返す。先生は小首を傾げて、人懐っこい笑みを浮かべてから、私に向かって口を開いた。「君こそ、授業受けなくて平気なの?」「…私は、いいのよ。」だってこの世界の人間じゃないし、と心の声で呟く。先生の笑顔が知っているものよりも幼いことにドキドキしてしまって、思わず目を反らした。「顔赤いけど、大丈夫?」「…平気よ。気にしないで」指摘されて余計に顔が赤くなった気がするけれど、気にしていられない。何とかこの先生から、記憶をブロックしている鍵を見つけ出さなければ。先生をパンドラへなんて、私が絶対に行かせない。「先生、ここで何してたの?」この先生にサイコダイブして、記憶を辿ってしまう方が簡単だけれど、これ以上深く潜ったら本当に戻れなくなる可能性もあるし、何より、先生には透視を使わないという習慣が身に付いてしまっていて、いくら緊急事態とはいえ、これ以上先生の心に触れることは憚られてしまって。何とかこの記憶の世界を把握しようと、先生に声を掛ける。「何って…見てわかるだろ?サボりだよ」私の知っている先生の声よりも少し高い声が答えた。「サボりって…先生はこの頃からそんな不真面目だったの?」「不真面目じゃねぇよ。授業なんか受けなくてもわかるってだけだ」「私には真面目に授業受けろって言うくせに。自分は棚上げなのね」「…俺は君と初対面だと思うんだけど。俺、そんなこと君に言ったっけ?」言われて、どきりとする。当然だ。この先生は私を知らない。知っているはずもない。なのに、その事実に衝撃を受けて、思わず身体が固まってしまう。「それに、さっきから俺のこと、先生って呼ぶけど、俺そんなあだ名で呼ばれたことねぇんだけど」一体、君は誰?と問われて、答えに窮してしまう。どこまで、先生の記憶に介入してもいいんだろう?私はこの頃の先生のことを一切知らない。先生は昔の話をしたがらないから、私も敢えて触れずにいた。それが、今は仇になっている。この先生に、会話を合わせることができない。「それに、君みたいな可愛い子、知ってたら名前も顔も忘れるわけないんだよね。絶対初対面だと思うんだ。」にこっ、と再び目を細めて人懐っこい笑みを浮かべる先生。「俺、賢木修二。初めまして、だよね?ねぇ、君の名前、教えてよ。」立ち上がって、私の真正面に先生が立つ。身長は私より少し高いくらいで、見たことのない詰襟姿にドキドキする。身体を少し傾けて、首を傾げる仕草はまるで小悪魔みたいで。この頃から健在らしい、先生の独特のオーラに辟易する。高校生の頃にはもう、こんな風に女の子引っ掻けて遊んでたのかしら。だとしたら、相当のチャラさよね。「…三宮、紫穂よ」「へぇ、三宮紫穂さん。可愛い名前だね?」ニッと笑ってみせる先生の笑顔が、私の知っている先生と被る。カッと赤くなる頬を隠しながら、先生に向かって呟く。「先生、ふざけないで」「だから、俺は先生じゃないって。賢木修二。三宮さん?」「…ええ、そうね。賢木くん」私のことを知らないという先生に、頭では理解できていても、心がついていかなくて負けそうになる。こんなことでは駄目だ。先生の記憶を取り戻す鍵が、ここに絶対あるはずだ。負けてはダメ、気を強く持って。慣れない呼び名にそわつきながらも、何とか平常心を装う。「三宮さんも、サボりに来たの?」「…そんなところよ」「…じゃあさ、この場所は譲るよ」「え?」「俺と一緒じゃ、落ち着かないでしょ?」じゃあね、と笑顔で立ち去ろうとする先生が私の横をすり抜けていく。「ま、待って!」「ッ!」思わず、先生の手を掴むとバッと手を振り払われた。驚いて先生を見ると、先生も驚いて私を見つめていて。その表情は少し青ざめている。「ご、ゴメン。三宮さん…怪我はない?」「…大丈夫。びっくりしただけ」「そっか…何も透視んでないから、気にしないで」じゃあね、とまた私に背を向けて立ち去ろうとする先生を、今度は腕ごと捕まえた。サイコメトラー独特の、過剰反応。触れたら透視える、それを避けるための、接触を避ける行為。この頃の先生は、まだ自分の力をコントロールできていなかったのね。そんな状態で、こんな学校に所属していたというのなら、想像を絶する地獄だろう。逃げられてしまわないように、しっかりと腕に力を込める。「ま、待って!行かないで!」「はぁ?ちょ、俺に触るな!」先生が無理に私から逃れようとするのを何とか力付くで抱き込んで逃がさないようにする。「ちょ、胸!当たってるから!」「だって離したら逃げちゃうでしょ?!」「でも!触れてたら透視んじまう!」照れだけではない、恐怖の面持ちで先生が叫んだ。「じゃあ透視めないようにしてあげるから逃げないで!」今回せる力の全てを使ってプロテクトを掛けていく。先生は私の言っている意味がわからないのか、まだ抵抗を見せていて。「さぁ、透視んでみなさいよ!」「んなこと言われても、俺今不安定だから…って、アレ?」「…透視める?」「なんで?透視できない」顔中にハテナマークを浮かべた先生はとても間抜けで。思わずクスリと笑ってしまった。「だって、私もサイコメトラーだもの」「嘘…マジで?」「ええ、私はレベルセブンのサイコメトラーよ」先生が、驚いた表情で私を見つめる。その表情に、もう逃げないと判断して腕を解放した。念のため、両手で先生の手を掴んだままで。「嘘だろ…俺より上のレベルのサイコメトラーは日本に存在しないハズじゃ…」「…そう、だったの」知らなかった。私が産まれるまでは、先生が国内最高のサイコメトラーだったなんて。まぁ、蕾見ばーちゃんは例外扱いだろうから、当然なのかもしれない。それなのに、私より酷い環境で、先生は生きてきて。今まで見せてくれた人懐っこい笑顔の裏に、どんな苦労が隠されていたのか、本当に想像もしたくない世界だ。「三宮さん、もしかして、バベルの職員?」「え?」「いや、バベルにはすっごい能力者がいるって噂、聞いたことあるからさ。」君のことなのかなって、と続ける先生は、恐る恐る私の様子を窺っていて。「ああ…違うわ。あの人はまた私とは別の人。」「…じゃあ、君は一体…」先生が、訝しげに私を見る。もう、ここまできたら素直に話してしまうしかないのかもしれない。ふぅ、と息を吐いて、先生を見つめ返す。「私は、未来から来たの。」「…はぁ?」「先生が大人になった未来から、私は来たのよ」ぎゅっ、と掴んだままの先生の手に力を入れる。先生は、信じられないとでも言うような表情で、私を凝視している。「…さっきから言ってる、先生って、未来の俺のことなのか?」先生が、私の手を握り返して、空いた手で私の肩を掴む。血相を変えて、先生は私に迫った。「教えてくれ!未来の俺はどうなってる?!」「ちょっ、痛い!力を抜いて!」「あっ…ゴメン…」パッと肩から手を離した先生は、申し訳なさそうに俯いた。私が掴んだままの手に、きゅっと力が入る。じわり、と先生の手から不安が伝わってきた。「…大丈夫。ちょっと痛かっただけだから」「本当にゴメン。つい、力んじまって…」「何が不安なの?そんなに未来が知りたい?」先生の手がピクリと震える。それから、するりと私の手から抜け出して、先生は私に背中を向けた。「勝手に透視むなよ…そりゃ、誰だって未来は気になるだろ」「ごめんなさい。透視るつもりはなかったの。私だって、レベルセブンだから、無意識で透視んじゃう時があるのよ」わかるでしょ?と呟くと、先生はこちらを見て苦々しげに眉をしかめた。「…レベルセブンっつっても、その程度なんだな」もっと上手くやれるのかと思ってた、と先生は苦しそうに呟いた。先生のその言葉にムカッとして、言い返そうとしたら、先生は今までの表情を隠すように人懐こく笑って、私に告げた。「とにかくさ、俺のことは放っといてくれよ。未来から来たバベルの三宮さん」人懐こい笑顔で親近感を感じるのに、目の前に突然現れた見えない壁のようなものにたじろぐ。先生のこの笑顔は、人を寄せ付けているようで、実は本心を見せないためのカモフラージュなのかもしれない。そのことに気付いてしまったら、先生の歩いてきた道程が本当に険しく思えて。先生が私に掛けてくれた言葉の数々が、急に重みを増して私の中に染み込んでいく。「ダメよ、先生!行かせない!」「だから、俺は先生じゃないって!」「じゃあ、行かないで、賢木くん!これで満足ッ?!」「満足とかそういう話じゃなくて!俺に近付くなよ!」「そういう訳にはいかないわ!私は貴方から鍵を引き出さなきゃいけないの!」「はぁ?鍵?何の話だよ」何言ってんだ、と言いたげな表情で先生は私を見ている。この先生に、記憶の鍵となる隠された何かがあるはずだ。「未来の貴方は、今、自分の記憶に鍵を掛けられてる状態なの。鍵を見つけて助けなきゃ、記憶が封じられてしまう」「そんなこと言われても…信用出来ねぇよ」「…わかったわ。じゃあ、私を透視してみればいいわ」それなら信用できるでしょ?と先生に向かって手を差し出す。先生はゆるゆると首を振って、それを拒否した。「できねぇよ。俺、さっきも言ったけど、今不安定なんだって」「大丈夫。貴方ならできるわ」そっと先生の手を掴んでにっこりと微笑む。先生は、少しだけ頬を染めて、きゅっと私の手を握り返した。「…じゃあ、やってみるけど。余計なモン透視んじまっても、怒るなよ」「透視みやすいように、他はプロテクト掛けておくから大丈夫よ」安心して、と声を掛けると、先生は納得いかなさそうな顔をしながらも、いくぞ、と力を発動させた。キィン、と緩くゆっくりと、透視されていく。不安定というのは、あながち間違いではないようで。透視の深度が、ゆらゆらと揺れている。それでも、表層に浮かべた、先生との記憶は、ちゃんと読めるはずだ。「三宮、お前…本当に、未来から来たんだな?」「やっとわかってくれた?」「…というより、未来、なのか?大人になった、俺?が透視える…」何か不思議な感じだ、と先生は呟いて私を見た。「何か、これが俺の未来ですよって急に言われても、現実味がねぇ。」「じゃあ答え合わせしてみる?」「答え合わせ?」「貴方が透視んだことと、私の知ってること、解が同じで解説も聞けたら、貴方も合点がいくでしょう?」確かに、と言って先生は納得したようだった。透視した内容を私に向かって話す。「詰襟の男と喋ってたら、ぶっ倒れたな」「詰襟の男は兵部少佐。貴方をパンドラという組織に引き込む為に、記憶を封じる何かを仕掛けたの。先生はそれで意識を失ってる。」「パンドラって、犯罪組織の?」「ええそうよ。兵部少佐はパンドラのリーダーよ。貴方を引き抜きに来たんですって」「俺、未来で悪人やってるのか?」「いいえ。先生は、バベルの職員よ」「そっか…俺、バベルで働くのか…」少し安心したような表情で、先生は呟く。少しずつ信用が得られているのか、先生は力を安定させて更に潜ってくる。「次は?何が見える?」「白衣を着た、俺?と病院の検査服?みたいなのを着た君が透視える…」「ああ、この前の任務の時ね。女性技師が空いてなくて、先生しか居なかったから、そのまま検査してもらったの。」「検査?」「任務の後に、超能力中枢に異常がないか調べる検査よ」「俺も検査技師か何かなのか?」「先生はお医者様よ。バベルきってのね」「…そっか…俺、やっぱ医者になるんだ」今度は妙に納得したような顔をして先生は呟いた。「…どういうこと?」「俺、母方のじぃさんと暮らしてるんだけどさ、じぃさんが医者で、俺の力を使って医者にならないかってすんげぇ薦めてくるんだ…」「でも、あまり乗り気じゃないのね?」「だって、気持ち悪いじゃん。サイコメトリーとか」自虐的に笑ってみせる先生に、私は何も答えられなかった。「…それに、昨日、もっと気持ち悪い能力、発動しちまったし」空いた手を見つめて、先生は眉を寄せながら告げる。「生体制御、ね?」「なんで知って…ってそうか、三宮さんは未来から来たんだもんな」知ってて当然か、と言う先生は、ぼんやりと遠くの方を見ていて。側にいるのに、すごく遠くに感じる。「…なぁ」「なぁに?」「俺は、この力、ちゃんと使えてるのか?」先生が、恐る恐るといった様子で、私に声を掛ける。今の先生は、自分の力を受け入れられずに、気持ち悪いと感じているんだわ。それがどれだけ辛いことか、私も知っている。「私たちはどこへだって行けるし、何にでもなれる」「え?」「私たちの大切な人がいつも言っている言葉よ」皆本さんの、今でも心に残っている大事な言葉。この言葉に救われたエスパーは、きっと数え切れない。先生が、皆本さんに出会うのはあと五、六年先のことだろうか。それまで、記憶の中の先生は、救いもなく、ひとりきりで生きていくのだろうか。「自分の力を、気持ち悪いだなんて思っちゃダメ」「いや、気持ち悪いだろ!傷が、みるみるうちに治ってくんだぞ!」化けモンじゃねぇか、とキッと私を睨み付ける先生は、自分の力を嫌悪すらしているようで。今の先生を知っているからこそ、その事実がとても悲しい。どれだけのことを乗り越えて、先生は今の先生になれたのだろうか。「先生は、お医者様として、誰からも尊敬されてるし、自分の力をちゃんと活かせてる」だからそんなこと言わないで、と先生の手を掴む手にぎゅっと力を入れた。そうでもして堪えていないと、涙が溢れてしまいそう。でもきっと、先生は、私が泣くことを望んでいない。先生は、過去を泣いて悲しむより、笑って話すことを望むはず。今できる精一杯の笑顔を先生に向ける。「先生はひとりじゃないわ」先生の手に指を絡めて、きゅう、と胸元で握り締める。少しでも、あたたかい気持ちが伝わるように。傷付いた先生の心を癒せるように。きっと、これが鍵だ。兵部少佐は、一人きりだった頃の先生に記憶を戻して、パンドラを新しい家族として記憶を植え付けようとしてる。「私も…未来で、待ってる」堪えきれなかった涙が、一筋だけ、頬を伝う。先生が、それを親指で拭ってくれて。「泣くなよ…君に泣かれるとどうしたらいいかわかんなくなる…」その優しい表情に、今の先生を感じて、思わず胸に飛び込んだ。「ちょっ!三宮さん?!」「…ごめんなさい。今だけこうしてて…」先生が好き。先生は、私の特別なの。記憶の中の先生よりも、小さな身体。それでも、どこかに先生を感じて、背中に手を回してすがってしまう。そっ、と恐る恐る背中に手を回してくれた先生に甘えて、先生の肩口に顔を埋めた。「…なぁ…三宮さん」「…ごめんなさい、今、離れるから」「いや、違うんだ。あの、さ…」背中を抱き締める腕に、ぎゅっと力が入る。「俺たち、その…そういう関係、だったの?」かぁぁっ、と顔を赤くして、目をそらす先生。高校生らしい初々しい反応に、何だかこちらまで恥ずかしくなってきて。そっと先生の胸を押して、身体を離す。「えっと、そうね、そういう関係、ってことになるのかしら…」「透視せてもらった内容からして、多分、俺歳上だよね?三宮さん、今、いくつ?」「十七…高三よ」うっわ俺より二つ歳上じゃん!と先生は顔を覆いながら叫ぶ。いや、本当は貴方の方が一回りも歳上だからね?「そっかー、俺、年下の女の子と付き合うのかぁ…」「何よ、何か問題あるの?」「いんや?こんな可愛い子を彼女にするなんて、未来の俺、やるなって」にかっ、と顔を赤くしたまま先生は私に笑いかける。あんまりにも嬉しそうに言う先生が、何だかすごく可愛く思えて。思わずクスリと笑ってしまった。「何よ、それ…」「いや、大事っしょ!可愛い彼女が居るってだけ、生活潤うよ?!」「…そーいうもんなの?」「そーいうもんなの!」先生は嬉しそうに叫んでから、ふっと表情を暗くして、自嘲気味に笑った。「俺、君に会うまで、もう死んでもいいやって自棄になってたけど、俺の人生も、捨てたもんじゃなさそうだ」チカリ、と何かが光る。それは引き出しを見つけた時と同じ光な気がして、遂に答えを見つけたような感覚に頭が冴える。「…自殺、する気だったの?」「そこまでじゃねぇけど。昨日、任務で大怪我してさ、死ぬかもって思ったら、みるみるうちに傷が治ってさ。ビックリするじゃん?で、生体制御が発動しちまったせいで、最近やっと安定し始めてたサイコメトリーもまた不安定になっちまって。」そこまで一息で言い切った先生は、ふぅー、と長く息を吐いて空を仰いだ。「エスパー候補生から、訓練生に格下げになって。ちょっと久々に大人たちの目が痛かった。」ゆっくりと、壁にもたれ掛かりながら、先生は目を閉じた。大人たちの勝手さや、視線の意味は、私もよくわかってる。それでも、私には、薫ちゃんや葵ちゃん、それに皆本さんがいた。でも、先生には、誰もいなかった。今更ながら、先生の過去に何もしてあげられない非力な自分を呪った。「仕方ねぇんだけどさ。人から見て気持ち悪い力を二つも持っちまって、しかもそれが上手く使えなくて。大人からすりゃ、いい加減にしろよって話じゃん」先生は、また笑った。私は、何も答えられなくて。本当に、どれだけの悲しみや苦労を、その笑顔の下に隠して来たんだろう。やさぐれて、大人ぶっていた子どもの頃の私とは、全然違う。先生の、上手くやれ、と言っていた言葉の重さがずしりと私の心にのし掛かった。「…どうして、そんな、笑っていられるの?」やっと出てきた言葉は、涙声で揺れていて。泣いてばかりの自分が、すごく情けない。それでも、と先生に寄り添って、きゅっと先生の手を掴んだ。少しでも支えたい。力になりたい。側にいたい。そんな気持ちを込めて、知っているよりも柔らかくて小さな手を両手で包み込んだ。先生は、それを素直に受け入れて、また小さく笑った。「…死んだお袋に、言われたんだ。何があっても、笑ってなさいって」また、知らなかった事実が判明して、目を見開く。私は、あまりにも、先生のことを知らないんじゃないだろうか。「…そっか、知らないんだな。まぁ、俺のことだから、あんまり自分のことベラベラ人に喋るわけねぇよな」苦笑いをしてみせる先生に、悔しくて、思わず唇を噛んだ。私は、先生のことを特別だと思ってた。先生も、私のことを唯一だと言ってくれて。でも、私は先生のことを何も知らない。先生は、私のことを小さい頃から知っていて。なのに、私は先生のこと、本当に何も知らない。甘えて、甘やかされていた自分に気付いて、堪えきれなかった涙が溢れていく。「泣くなよ。君に泣かれると、本当に困るんだ」記憶よりも幼い手が、私の頬を撫でて涙を拭っていく。知っているより幼くても、そこに居るのは先生で。思わず心の嗚咽が漏れた。「私っ、先生のこと、何も知らないッ」どんどん溢れてくる涙が先生の手を濡らしていく。先生は苦しそうな表情で私を見つめている。「未来の俺が、何も話さないのが悪いんじゃん。君は悪くない」だから、泣くなよ、と先生は優しく微笑む。その表情が、大好きな先生の表情と被る。「三宮さんはさ、過去なんて知らなくても、目の前にいる、未来の俺の今を見て、俺のことを好きになってくれたんだろ?」先生の問い掛けに、声を上げずにこくりと頷く。頬を包んでくれている先生の手に、私の両手を重ねた。「ならさ、過去なんか関係ないじゃん。俺は俺だよ。」「…でも」「…あーあ。未来の俺、彼女を泣かせてばっかじゃん!」てんでダメな男だな!と先生は叫んだ。その表情は本当に悔しそうで。すっと目を細めて私を見つめた先生が、自然な仕草で私の顎を持ち上げる。「未来の俺なんか、止めといて、俺にしなよ」あ、キスされる、と思った瞬間、ピシリ、と空間にヒビが入った。「そりゃ聞き捨てならねぇな」大きな手が私の口許を遮る。「紫穂は俺のだ。お前のじゃない」パリンと何かが割れる音と共に、先生が現れた。心から焦がれていたその姿に、胸がきゅんと高鳴った。「先生…」「いい加減、紫穂から離れろ。いくらお前でも渡せねぇ」「…お前が、未来の俺、なのか?」高校生の先生が目を見開いて、一歩後ろへと下がる。その隙に先生は私たちの間に身体を滑り込ませて、私を守るように抱き締めた。「信じらんねぇだろうけどな。ここは兵部に作り込まれた俺の記憶の中の世界だ。お前は過去の俺。時間軸を返してもらうぞ」そう言って先生は、高校生の先生に向かって手を翳した。すると、周囲が光に包まれて溶け始めていく。高校生の先生は、何かを理解したような顔をして私たちに向かって言った。「紫穂をこれ以上泣かすなよ!」「…お前に言われなくてもわぁーってるよ!」先生が高校生の先生から私を隠すようにぎゅっと抱き締める。その感触は、間違いなく私の知っているものと同じもので。今度は嬉しくて涙が溢れてくる。私、この数時間で一生分の涙を流してる気がする。先生の腕に顔を埋めると、先生が優しく頭を撫でてくれた。「また泣かせてんじゃん」「バッ!これは嬉し涙なのッ!」からかうように言った高校生の先生に、必死な声で先生が応戦する。そのやり取りに何だか気が抜けてしまって、笑いが込み上げてきて。高校生の先生がフッと笑って私たちからもう一歩離れていった。「逃がすなよ、未来の俺」「わかってる。今で充分、お前の分にお釣りが出るくらいに幸せだ。一生離さねぇよ」先生の言葉を聞いて、にこりと笑った高校生の先生は、光が弾けるように消えてしまった。あっという間の出来事に、私は立ち尽くしていることしかできなくて。「戻るぞ。これ以上は、いくら紫穂でも限界だ」先生に声を掛けられて、ハッとして先生に掴み掛かった。「でも!まだ鍵を見つけてない!」「もう鍵は消滅したよ。その証拠に俺が介入できてるだろ?」「…本物の先生なの?」「ああ。正真正銘、今の時間軸の俺だよ」「証拠は?少佐が化けて私を騙そうとしてるんじゃないの?」疑いの目を向ける私に、先生はプッと吹き出した。「…紫穂らしい発想だな。」腕の中から解放した私の手をとって、先生は、ゆっくりと歩き出した。私もそれに引っ張られて着いていく。「…鍵は、過去の俺が未来に希望を抱くことだ」歩きながら、先生は話始めて。私は黙って先生の話を聞きながら、先生の隣に並んだ。「あの頃の俺は、絶望のど真ん中みたいなとこにいたからな。」笑いながら話す先生に、少しだけ胸の痛みを覚えながら、先生の手をきゅっと握り返した。先生はそんな私に微笑んで、繋いだ手に指を絡めてくる。「兵部はそこまで俺の時間を巻き戻せば、パンドラに引き込めると踏んだんだろ」まぁ、あながち目論見は外れてねぇよな、と先生は感心したように言った。じゃあ、先生は。高校生の頃に兵部少佐に出会っていたら、パンドラの賢木修二としてこの世に存在することになっていたのだろうか?ふと不安になって、先生の手をもう一度握り返すと、透視まれてしまったのか、先生が立ち止まって不安を取り除くように私を優しく見つめた。「過去は変えらんねぇし、俺は俺だよ」どこにも行かねぇ、と先生は私に向かって告げた。「本物の俺だって、少しは信じてくれた?」身体を傾けて、小首を傾げる仕草に、ふ、と笑みが溢れる。「…ばか」何だかいろいろ溢れてしまって、思いきり先生の胸に飛び込んだ。それを笑って受け入れてくれる先生に、やっぱり本物の先生だと安心してしまって。背中に回した手にぎゅっと力を込める。「…さぁ、浮上するぞ」それに答えるようにぎゅっと抱き締め返してくれた先生が耳許で呟く。目を開けたら、またその目に私を写してくれる?先生の胸に顔を埋めながら二人で光に包まれた。
夢の中へ。



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