車を停めて、目的地の海に向かって紫穂を伴って歩いていく。腕を絡めてはくれないので、紫穂に向かって手を差し出すと、ふいっとそっぽを向きながらもきゅっと手を繋いできてくれた。だいぶ恋人らしい振る舞いには慣れてきたものの、時折見せてくれるこういう初々しさが、紫穂の大人っぽい部分とギャップを感じさせて堪らない。しかも、そんな紫穂をひとつひとつ俺が引き出しているなんて、これ以上の幸せがあるのかって話で。駆け落ち、なんて物騒な話に乗っかってしまったものの、とてもそんな重々しい雰囲気ではなくて、普段のデートと何ら変わらない気がしてきた。「なぁ、紫穂」「なぁに?先生」「俺さぁ、駆け落ちで海に行きたいなんて言うもんだから、てっきり心中でもすんのかと思ったよ」「…そんなわけないじゃない。私は地の果てまで這いつくばってでも生き延びてやるわよ」心底何言ってるのというような呆れ顔で、紫穂は俺を見てくる。そんな紫穂にクスリと笑いながら繋いだ手の力をぎゅっと強める。「…本気で駆け落ちするのか?」「…」「多分、そろそろ追手が来る頃だと思うんだよなぁ」ガシガシと頭を掻きながら、自分も身に付けているリミッターの存在に考えを巡らせる。これがある以上、それこそ地球の裏側まで、局長辺りが追っ掛けて来るだろう。ちょうど海に着いたところで、花火が上がり始めた。最初の花火は、大学生グループの、十年後また会おうぜ!という、何とも若くてアツいメッセージだった。時計を見ると、自分達がバベルを出て、一時間半くらい経過したところだった。紫穂が居なくなった、ということは、ひょっとしたら、薫ちゃんと葵ちゃんも出動して捜索部隊が組まれてるかもしれない。そうなってくると、追い付かれるのは時間の問題だ。ドォン、という音と共に、二発目の花火が上がる。二発目のメッセージは、ベタに、「好きです。僕と付き合ってください」という愛のメッセージ。このメッセージを申し込んだ彼は、無事に付き合えたんだろうか。こういうのを見てると、ほっこりした気持ちになる。駆け落ち中っていうことをうっかり忘れてしまいそうだ。「…これが、見たかっただけなのに」繋いでいた手を緩めて、紫穂が遠慮がちに指を絡めてきて、力なく呟く。そのあまりに儚げな様子に思わず紫穂をそっと抱き寄せた。「ちょっ…花火、見えない」「あぁ、ゴメンゴメン。」花火が見えやすいように立ち位置を変わり、紫穂を後ろから抱き締める。この体勢は、すっぽりと紫穂を包み込むことができるので、何気にお気に入りの体勢だ。紫穂にとってもそうなのか、すぐに俺にもたれて体重を預けてきて、俺の腕をぎゅっと掴んでいる。可愛い彼女を独り占めできるこの体勢、恐らく紫穂に俺の考えてることはバレバレだが、そんなことは気にならないくらい幸せになれる。「雑誌で見たの」「ん?」「この花火ね、今日、雑誌で見て、知ったの」ぽつぽつと喋り始めた紫穂の言葉に、黙って耳を傾ける。「前はね、こんなの興味なかったんだけど。先生と付き合い始めて、こういう、幸せのタダ見みたいなの、馬鹿にできないなって、思うようになって。」ドォンと三発目の花火が上がる。今度は家族への感謝の想いを伝えるメッセージ。「理想と現実は違うんだって、子どもの頃から嫌っていうくらい透視てきたから、現実に何にも期待してなかったのよ。表と裏が存在することもよく理解してたから、恋愛なんて絶対できないって思ってたのにね」花火を見上げて、ほぅ、と紫穂は息を吐く。「幸せって、形はないけれど、形にすることはできるんだって、先生が教えてくれたのよ」くるりと身体を反転させて、紫穂は俺を見上げる。その表情は、今にも泣き出しそうな微笑みで。「ただ、この花火が見たかっただけなの。それって、そんなにいけないこと?」四発目の花火が上がる。僕と結婚してください、というシンプルなメッセージが、海岸に響き渡る。「何でも透視ればわかるけど、透視なくても幸せを人と共有できるって、すごく素敵なことだと思うの」砂浜の方で、わぁっと歓声が上がる。恐らく、プロポーズが成功したのだろう。心の中で俺も彼らにおめでとうと呟いて、紫穂をゆるく抱き締める。「俺も好きだよ、こういうの観るの。」あったかい気持ちになるよな、と砂浜で抱き合っているカップルを見ながら呟く。「…まぁ、皆本は何より門限優先だったんだろうなぁ」ああ見えて、すっげぇ頑固な皆本を思い出して苦笑する。「なぁ、紫穂」なぁに?という不思議そうな顔で紫穂は俺を見上げている。やっぱり、このまま駆け落ちなんて絶対に良くない。紫穂の純粋な想いをそんな形で咎められるものにしたくない。「俺、皆本に電話するわ」「え」「だってやっぱ俺、駆け落ちとかしたくねぇもん」「はぁッ!?」「紫穂とは堂々とお付き合いしたいんだよ」ニッと笑って紫穂をぎゅーっと力任せに抱き締める。痛いとか苦しいとかモゴモゴ俺の胸で抵抗している紫穂に、やっぱり俺は紫穂と真面目に付き合って、唯一無二の存在でありたいと確信する。「皆本に認めてもらわねぇと、紫穂との未来は手に入らねぇだろ?」「なッ!?」冗談ではなく、本気だ。多分、誰よりも近いところで俺たちを見てきた皆本だから。俺たちも皆本に正々堂々と立ち向かわないと、皆本はうんとは言わないだろう。「ま、ここでちゃんとしねぇのも、男が廃るってモンだ。紫穂ちゃんは大人しく待ってなさい」納得いかない、という様子の紫穂の頭を撫でて、大丈夫だから、と携帯を取り出す。皆本に電話することを渋々受け入れたのか、紫穂はぎゅっと俺の胸に抱きついてから、そっと離れて俺と手を繋いだまま花火を見始めた。その様子を確認して、携帯の画面を見ると、着信数が百件近くを示している。おお、これ、過去の修羅場超えたんじゃね?と呑気に考えながら皆本へダイヤルする。『賢木ッ』ワンコールもせずに皆本の焦った大声が耳に届く。いや、いくらなんでも焦りすぎじゃね?「hello!皆本クン!調子はどうだい?」『ふざけてる場合かッ!紫穂知らないかッ!?』少し落ち着かせようと思った俺の気遣いを返して欲しい。ふぅ、と軽く息を吐いて、真面目トークへと気持ちを切り替える。「…紫穂は今、俺と一緒にいる。どうせ今いる場所もわかってんだろ?」『…賢木』「もう追手が向かってるんだろ」『…い、いや、実は』どうやら聞くところによると、皆本は、たった今さっきまで、薫ちゃんと葵ちゃんの鉄拳制裁を受けていたらしい。久し振りに、文字通り、壁にめり込んでいたり、壁に埋まったりしていたらしい。「それは…どうも、おつかれ。」げっそり、という感じが皆本の声を通してよく伝わってくる。「で?俺たちの逃避行はどこまでバレてんの?」『把握してるのは俺たちだけだ。薫がバベルに言ったら許さないって、通信手段を奪われてしまって』「マジか!もうとっくに局長辺りがその辺まで来てるんだと思ってた」『いや、本当に誰も知らない。だから、今のままだと、ただの家出状態だ』「紫穂本人は駆け落ちするって言ってるけど?」『駆け落ちッ!?そんなこと言ってるのか!?』心底驚いた声で皆本が叫ぶ。あまりの大きな声に、耳がキーンとする。『お前ら一体どこにいるんだ!駆け落ちなんて許さないぞッ!』「ちょっと落ち着けって、ついでに声のボリューム下げろ。」『この状況で落ち着いていられるか!』皆本の後ろで恐らく薫ちゃんたちだろう、駆け落ちだって!という悲鳴にも似た歓声が轟いている。ということは、マジで紫穂の家出だと思ってたのか。「ていうか、俺らの現在地、把握してないのか?」『してない。というかできないんだ。薫と葵に何もかも奪われて。』当然や!と葵ちゃんが叫ぶ声が電話越しに聞こえてくる。どうやら、紫穂と皆本は、相当派手にやり合いをしたらしい。そして、チルドレンは当然、紫穂の味方。皆本は孤立無援の戦い、ってやつか。「…紫穂から簡単に話は聞いてる。大人代表としてのお前の言いたいことも何となくわかってるつもりだ。」『だったら!お前の取るべき行動はひとつだろ?!』「いやー、でもさ、俺、紫穂の彼氏だから。」『賢木ッ!』俺は紫穂の味方なんだよね、と心の中で呟きながら、さてさてどうしたものかと考える。「紫穂はさ、今日やってる花火が見たかっただけなんだよ」『でも、門限過ぎてまで、今日見に行くことはない。これから先、長い未来が待ってるんだ。今日じゃなくても、これからいくらでも一緒に見られる機会はあるはずだ。』「そうは言っても、今日という日は今日しか巡って来ないんだぜ?皆本クン」『でも、紫穂はまだ高校生だ。高校生なりの行動範囲ってものがある』「いや、皆本の言いたいこともわかるよ?でもさ、一番ヤンチャしたいのも高校生の頃じゃん?」『それはお前の話だろ!紫穂を不良に巻き込むな!』「いやいや、今回はその紫穂ちゃんのたってのご希望なワケですよ。そりゃもう彼氏としては頑張っちゃうじゃん?」『そうだとしてもだ!お前にもリスクがあるんだぞ』皆本は俺が紫穂を連れて夜中に出歩くことで、捕まるかもしれないっていう心配をしているのだろう。「全部理解した上で、俺は紫穂と付き合ってる。」『なら!』「守るべきことは守った上でだ。今回はまだ許される範囲のことだろ」『そんなのはお前の判断であって周りがどう見るかは別の話だろ!』皆本の心配はわかる。でも、でもだ。「…もう少し紫穂のこと信用してやれよ」『そういうことを言ってるんじゃない』自分の名前が出たことで、紫穂と繋いだ手から、少しの緊張が伝わる。安心させるように繋いだ手の親指で紫穂の手を撫でる。「じゃあ、俺のことが信用できない?」『そう、じゃなくてだな…』俺の話になったところで、ぎゅっと力強く手を握り返された。眉間に皺を寄せて、紫穂は思い詰めたようにこちらを見ている。「皆本の言いたいこともわかるけどさ、もうちょい俺たちのこと信用してくれてもいいんじゃね?」『だから、信用するとかしないとかの話じゃなくてだな…』「紫穂のちょっとした可愛い我が儘じゃん?それを叶えてあげられる大人がいるわけじゃん?確かにちょっと咎められることかもしんないけど、夏祭りにちょっと遅くまで残ってるようなレベルの話じゃん?何かあった時の為に大人の俺もついてるわけで。」『でも、そんなのはいつだってできることだろ。大人になってからでも充分だ』「皆本、彼女らは高校生だけど、もう充分大人だぜ?少なくとも、俺は紫穂を大人として扱ってる。」『…』俺の言葉を聞いて、紫穂がそっと俺に身を寄せてきた。繋いでいた手を優しく解いて、紫穂の肩を抱き寄せる。「皆本、お前、薫ちゃんにもそんな態度だったら、マジで愛想尽かされるぜ?」『今は俺の話をしていない!』「ハハ…すまん、そうだな。俺たちの話だ。とにかく、もう少し俺たちのこと、信用してくれよ。」『だから、信用してないわけじゃないんだ…』「わかってる。心配なんだろ?そんな心配もわかってて言う。今日は責任持って俺が紫穂を家まで送るから。花火が終わるまで待ってやってくれ」『…わかった。今日だけ、今日だけだぞ。』「ああ、ありがとう。帰る時にまた連絡するから。」ピッと通話を終了する。すると途端に紫穂が勢いよく脇腹に抱きついてきた。「うぉッ、どうした?紫穂?」「ずるい」「え?」「ずるい」「何が?」「先生ばっかり大人でずるい!」うりうりと脇腹に顔を埋めて、紫穂がぎゅうぎゅうと抱きついてくる。それに答えるように頭を撫でてやると、紫穂の耳が赤くなっているのが見えた。「そりゃ、紫穂ちゃんの格好いい彼氏だからさ。自慢したくなっちゃうくらいの?」「それはない」「即答かよ…」紫穂のつれない態度にげんなりする。彼氏にもうちょい飴を与えてくれてもいいんじゃねぇの?とめげずに続ける。「…でも、惚れ直しただろ?」「……………うん」ぎゅう、と俺を抱き締めてきた紫穂に胸がきゅうんとなる。飴どころか、これまたこれ以上ない幸せをもらってしまった。「花火は満足か?」「ええ、もう充分」満面の笑みで俺を見上げてくる紫穂はやっぱり可愛い。「じゃあ、皆本も心配してることだし、帰ろうか」「うん」寄り添ってきた紫穂に腕を差し出すと、ごく自然な動作で腕を絡めてくれた。いかにも恋人っぽい振舞いに何だか俺まで照れ臭くなって、二人で意味のない会話を繰り広げながら皆本の待つマンションへと帰るべく、車へとゆっくり歩いていった。
乙女心と機関銃。



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