「賢木医療部長! お疲れ様です!」「あぁ、お疲れ。問題はないか?」「ハイ! 日々順調です! でも、急にこちらに来られるなんて……何かありましたか?」「あー、イヤ……最近こっちに来てないな、と思ってさ。様子見に来たんだよ」不思議そうに首を傾げている職員を誤魔化しながら、何とか夕刻前に滑り込めたことにホッとする。今ならまだ紫穂ちゃんも業務中だろうし、予知対策課へ行けば顔を合わせられるはず。まずはとにかく謝って、それからちゃんと話をして。できれば今日の夜に入っていたデートの予定をキャンセルさせて、紫穂ちゃんの本心を聞き出す機会を持ちたい。それからそれから、と頭の中でぐるぐるとこれからの展開を妄想していると、はぁ、と溜め息を吐いた職員が呆れたように肩を落とした。「あの。こっちにもバレてるんで。お気になさらず」「……なにがだ?」「バレバレなんですよ! もう! ホラ、とっとと本懐を済ませてきてください!」こっちは適当にやっとくんで! と職員に背中を押されて部屋から追い出される。えぇ!? ともたついている間に中にいた職員たちは全員俺に向かって手を振っていて、ぴしゃりと閉め出されてしまった。ポカンと廊下に立ち尽くしていると辺りを行き交うバベルの職員からジロジロ見られていることに気付いて、慌てて何事も無かったかのように廊下を歩き出した。まさかこっちの部隊にまで何かいろいろバレていると思ってなかったのでどうしようかと思ったけれど、もうバレてるならいっそ開き直れととっとと足を予知対策課へ向けた。駆け足のような早歩きになってしまっているのは仕方がない。メッセージの遣り取りもままならない今の状態じゃどうしようもないと自分に言い訳をする。とにかく紫穂ちゃんを捕まえて、接触を試みないと前にも後にも進めなかった。考えながら進んだ道のりはあっという間に終わる。もうこの角を曲がれば予知対策課、というところで向こうから声が聞こえてきて慌てて足を止めた。この展開昨日と同じじゃん、と顔を顰めながらそっと聞き耳を立てると、やっぱり昨日と同じように紫穂ちゃんが昨日の男と話しているようだった。「今日、僕すごく楽しみです! 誘ってみて本当によかった」「……今は業務中よ? プライベートな話はまた後でお願いします」「スミマセン。でも本当に嬉しくて」男の嬉しそうな気配がここまで漂ってくる。今紫穂ちゃんが業務中だって言っただろ調子乗ってんなよてめぇの階級は知らねぇが紫穂ちゃんが止めろって言ってる命令を聞けないとはてめぇどういうご身分だ、と自分のことは棚に上げて目一杯心の中で相手の男をなじる。あからさまにイライラしている自分を落ち着かせながら、紫穂ちゃんだって困ってんだろ! と角から顔を覗かせて例の男にガン飛ばした。きっと紫穂ちゃんだって迷惑そうに眉を寄せて男を睨み付けているはずだ、と思ったのに。そこにあったのは眉を下げて困ってはいるけれど間違いなく笑顔で。俺は思わず飛び出していた。「紫穂ちゃん!」考えるよりも先に身体が動いていた、とはよく言ったもので、今の俺はまさにその状態だった。驚いた顔をしている二人の視線が身体中に刺さって痛い。それでも立ち止まっているわけにはいかず、つかつかと二人に歩み寄った。すると紫穂ちゃんがキッとキツい目をして俺を睨み返してきて、男に何か言って席を外させた。渋々、といった様子で男はこの場から去っていく。それをちらりと見遣りつつ、再びキツい目線を向けてくる紫穂ちゃんと向き合った。「……紫穂ちゃん」もう一度、絞り出すように声を掛けると、紫穂ちゃんはほんの一瞬苦しそうに顔を歪めてからそっぽを向いた。その肩に手を伸ばしそうになってぎゅっと手のひらを握って思い留まる。もう紫穂ちゃんの横顔からは表情が消えていて、薄い壁の向こう側へ行ってしまったみたいだった。「紫穂ちゃん」それがどうしようもなく苦しくて、こちらに戻ってきてほしくて声を掛ける。すると、ちらりと目だけを一瞬こちらに向けて、紫穂ちゃんは深く溜め息を吐いてから腕を組んだ。「何の用かしら? 賢木先生」いつもより冷たい、紫穂ちゃんの声が俺の名前を呼ぶ。そこに今までみたいな親しさは感じ取れなくて、ぎゅっと胸が潰れそうだった。「……あの男とデートするのか?」静かに紫穂ちゃんに問いかける。紫穂ちゃんはピクリと眉を動かしてこちらを見た。「昨日も言ったわ。先生には関係ないでしょ?」眉を寄せて目を細めた紫穂ちゃんは、俺を見上げるように首を傾げる。俺の追求をこれ以上許さないとその目は訴えているけれど、もう飛び出してしまった時点で自分の気持ちをこれ以上誤魔化すことなんて、不可能に近かった。「……関係なく、ねぇよ」関係なくなんかない。もう、関係ない、なんて。隣で見守っているだけなんて、そんな甘ったれたことを言っている余裕は、なかった。「君が、誰とデートするのか、俺には関係あるんだよ」ぐっと苦しいのを堪えるように眉間に皺を作りながら紫穂ちゃんに訴える。紫穂ちゃんは訝しむように更に目を細めて俺を見つめた。「……俺は。君に、他のヤツとデートしてほしくない!」今が業務中だとか、ここは職場だとか、そういうことが頭の隅を掠めていく。部下に指摘されたようにこれは明らかに公私混同で、仕事中にしていい話ではないと理性は訴えているけれど、もう自分の感情を抑えることはできなくて、自分の本心を紫穂ちゃんに向かって叫んでいた。紫穂ちゃんは一瞬驚いたように目を見開いたけれど、すぐに眉を顰めて身体ごと俺に向き直って抗った。「……はぁ!? ふざけないで! いろんな人と恋をしろって言ったのは先生よ!!!」険しい表情で紫穂ちゃんは俺を睨み付けてくる。確かに昨日までは俺だって呑気にそう思ってた。でも今は。自分の気持ちに素直になってしまった今は。自分以外とデートして仲睦まじくしている紫穂ちゃんなんて見たくないし、とてもじゃないけど受け入れられない。紫穂ちゃんの成長を見守りたいなんて大義名分を掲げて、ずっと隣から離れようとしなかったのは、俺のどうしようもない独占欲の表れだったと、今になって気付かされる。「……他の男なんて見るな」縋るように紫穂ちゃんを見つめて小さく訴える。「君には……俺だけ、見ててほしい」バカみたいに利己的な感情。子どもか、と自分でも突っ込みたくなる。紫穂ちゃんといると、理性的な大人の仮面なんて簡単に崩れ落ちてしまいそうで、向き合うことが怖かった。だから『見守る』なんて体のいいポジションで距離を取って、仮面が剥がれ落ちないように隣で笑っていることを選んだ。脆くて、いとも簡単に取れてしまうその仮面が失くなってしまえば、俺の剥き身の本心が前に出て暴れだすのは当然で。紫穂ちゃんに向けて、ずっと隠して見ないフリをしてきた心根が弱々しい声で曝け出される。紫穂ちゃんは俺の言葉に眉を寄せてじっと俺を見ている。それから口許を歪めて高圧的に笑った。「……随分我が儘な男ね」痛々しくも見える笑顔を浮かべている紫穂ちゃんに、情けなく眉を下げて笑いかける。「あぁ、やっと気付いたんだ。今の俺は、君のことを独り占めしたくてどうすればいいか必死に考えてる……愚かな男だよ」自分でも本当に愚かだと思う。今になって、紫穂ちゃんが他の男に目を向けているのが嫌だ、なんて。今まで、いつか自分から離れていくのだから、というスタンスを保っておきながら、本当に勝手な話だと思う。それでも、もう紫穂ちゃんの隣を他の誰かに明け渡すなんてとてもじゃないけどできそうになかった。「……もう、今更よ……帰って、お願い」俯いて表情を隠した紫穂ちゃんの声は、今にも泣きそうなくらい震えていて。その真意を確かめたくて思わず紫穂ちゃんの肩に手を伸ばす。それでも紫穂ちゃんの肩に触れるのがほんの少し恐ろしくてぎゅっと手を握り締めた。代わりに深呼吸をして何とか紫穂ちゃんと話をしようと震える口を開いた。「待ってくれ紫穂ちゃん」「……今は業務中です、賢木医療部長。これ以上私情を持ち出されるなら、然るべき対応をさせていただきます」「ッ!」「それでは……失礼します。賢木医療部長」にこり、と紫穂ちゃんは笑って俺に背を向ける。そのままピンと背筋を伸ばして紫穂ちゃんは俺から離れていく。予知対策課の中へと消えていった紫穂ちゃんの背中を目で追いかけて、閉じてしまった扉を見つめた。紫穂ちゃんとの間に感じていた薄い壁が、この扉のせいで途轍もなく分厚いモノに変わってしまったように感じて、ぎゅっと手を握り締める。「……賢木医療部長、か」紫穂ちゃんからあまり呼ばれたことのないその肩書き。階級で呼ぶことを酷く嫌がる紫穂ちゃんにその呼び方をされて、自分はショックを受けている。もう近付いてくれるなという最後通告のようで胸が痛い。それでも。「……ここで退いてたまるかってんだ」そっちがそのつもりならこっちにだって考えがある。皆本の言うコミュニケーションが取れるまで、無様だろうと往生際が悪かろうと、どこまでも齧り付いてやる。くっと唇を引き結んでその場をあとにした。
星屑キラリ



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