夢の中へ

「うぅ……」小さく唸り声を上げて、ゆっくりと目を開ける。眩しい光にパチパチと目を馴染ませていると、いくつかの見知った顔が飛び込んできた。「賢木ッ」「先生!」「賢木先生ッ」それぞれが次々に大きな声で俺を呼ぶもんだから、強制的に頭が冴えてきて。ハッと状況を思い出して飛び起きる。「紫穂ッ」俺の枕元に立っている紫穂の姿が目に入って、思わず抱き締めた。紫穂はまだ目を覚まさない。俺に抱き締められたまま、少し青ざめた顔でぐったりと俺に身体を預けている。「え? 紫穂! どうしちゃったの?!」焦った声を上げる薫ちゃんを横目に、紫穂の頬に触れて紫穂の身体を透視した。「……大丈夫。疲れて意識を失ってるだけだ」紫穂の身体をベッドに持ち上げるようにして、俺の膝の上に乗せて抱きかかえる。いつもより白い顔で意識を失っているのは流石に焦ったけれど、一応俺もレベルシックスだ。いくら紫穂でも俺の深層に作り込まれた世界に単独で潜って、全く平気というわけにもいかないだろう。しかも、一度も透視(み)せたことのない深層の更に奥深くに潜ったんだ。更にそこは兵部が手を加えた世界。無事に浮上できたとしても、力を過剰に消費して、気を失ってしまってもおかしくない。「賢木。お前は大丈夫なのか?」「あぁ。ちょっとばかし記憶の混乱はあるが……まぁそのうち落ち着くだろ」心配そうに俺を覗き込んでいる皆本に笑って返すと、皆本は不満そうに眉を顰めて腕を組んだ。「今すぐ二人とも検査だ。異常がないか、僕が診る」「……あー……へいへい」こうなった皆本は逆らえないというのは経験上よく理解している。ぐったりと気を失ったままの紫穂を横抱きにして診察台から降りると、薫ちゃんと葵ちゃんからきゃーっと黄色い声が上がった。「薫! 葵! もう夜遅いんだぞ、騒ぐんじゃない!」「だっ、だって! お姫様抱っこだよ!? 滅多に見られないじゃん!」ねぇ写真撮っていい? ときゃいきゃい言いながら聞いてくる薫ちゃんを何とか宥めて、皆で検査室へと向かう。もし、紫穂が目を覚ましていたら、恥ずかしがってお姫様抱っこなんてさせてもらえないだろうし、できたとしてもあとで俺が酷い目に遭いかねない。「……紫穂が嫌がるだろうからさ、写真は止めておいてやってくれ」苦笑いしながら二人に声を掛けると、再びひゃーと二人が黄色い声を上げた。「相変わらずのイケメン彼氏や!」「ホントホント! 紫穂が羨ましいっ!」「……それは……一体どういう意味だ? 薫?」皆本が眼鏡の位置を直しながら、騒ぐ二人に向かって不機嫌そうな声を上げる。コイツも分かりやすく嫉妬するようになったもんだ。薫ちゃんとうまくいって、良いように変化していっているのだろう。「や、皆本は皆本で格好いいよ? その、えっと、つまり、だからね?」「……まぁいいよ。それより、今晩は二人とも入院しろよ」「えッ?!俺は良いって! 紫穂から離れたくない!」俺たち高超度エスパーが入院するとなると、お互いの力が影響しないように強制的に個室に入室させられる。普段なら仕方ないと受け入れることもできるが、今は、紫穂が目を覚ますまで不安で堪らないから、できれば側を離れたくない。「我が儘言うんじゃない! それに、また、君を奪いに、いつ、兵部がやってくるかわからないんだぞ!」「……あー……アイツはもう来ねぇよ、多分」検査室に入りながら、何となく、そんな気がして皆本に答える。兵部が本気なら、多分、俺に何かした時、既に連れ去っていただろうし、パンドラの幹部たち、特に真木って男の気配が側に一切無かったのも怪しい。恐らく、これは俺の希望も入っているかもしれないし、アイツには怒られる表現かもしれないが、本当に、俺と紫穂の未来に干渉しようと、アイツは俺たちに試練を与えたんじゃないだろうか。これは本当の本当に希望的観測でしかないが。アイツがそんなお人好しじゃねぇのはわかってるし、でも、気紛れに何かしでかすのも知っている。アイツも未来が変わって、少し丸くなったんだと思えば、こんな騒動を巻き起こしたことにも納得いくのではないだろうか。「記憶のプロテクトも、本気じゃなかったんだと思うぜ? 鍵の掛け方も掛かり方も甘かったしな。紫穂が干渉してくれたってのもあるけど、俺自身でも介入できた」まぁ、アイツのことだから、上手くいけば本当に連れてくつもりだったんだろうけど、と呟きながら、紫穂を検査台へと横たわらせる。皆本が検査機器の電源を入れていくのを横目に見ながら、自分が着ていた上着を紫穂の膝元に掛けた。「うわっ! いちいちそういう気遣いができてまうのがホンマキザやねん!」葵ちゃんが眉を顰めながら、でも顔を赤くして叫ぶ。もう癖みたいになってしまっている自分の気遣いを指摘されて苦笑いをしていると、薫ちゃんから爆弾を落とされた。「ホント、プロポーズ失敗しても、紫穂が一番なのは変わらないんだね」やめろ、やめてくれ。薫ちゃん。その攻撃は俺に効く。ピシ、と俺も部屋の空気も固まってしまって、ウィーンという機械音だけが静かに部屋に響いている。がくり、と崩れ落ちそうになるのを何とか耐えながら、何も返す言葉が見つからないまま紫穂の検査の準備を進めていく。コホン、と重い空気を取り払うように皆本が咳払いをして、薫ちゃんに向き合った。「プロポーズが失敗したからって、賢木が紫穂から離れるわけないだろう。そんなの、ずっと見てきた俺たちがよくわかってる」いや、皆本クン?それ、フォローになってるのかなってないのか、イマイチよくわからないからね?ハハ、と引き攣った笑いを浮かべながら、皆本のサポートをするべく、検査機器を弄った。「まぁ、なんだ。プロポーズは、俺がタイミングを間違えただけだと思いたい……それより、早く検査終わらせちまおうぜ」紫穂を早くベッドで寝かせてやりたい、と本音を溢すと、ああ、そうだな、と皆本が検査開始のスイッチを押した。淡々と進んでいく検査をサポートしながら、まだ当分目を覚ましそうにない紫穂を見遣る。俺の深層で会っていた時、紫穂は特にプロポーズのことには触れなかった。朧気だけれども、紫穂が俺のことで泣いていたのは感じていて。俺はもう、紫穂を泣かせることしかできねぇのかな、なんて考えていると、あっという間に検査が終わった。「……紫穂は問題なさそうだな。次はお前だ、賢木」「ちょっと待て。先に紫穂の入院手続き済ませちまおう」「……それもそうだな。僕が手続きしてくるよ」ここで待っててくれ、と皆本が足早に部屋を出ていく。それを見計らったように、葵ちゃんと薫ちゃんがずずいと身を寄せてきた。驚いて身を退くと、逃がさない、というように二人が俺に詰め寄ってくる。「ねぇ先生? もう一回プロポーズするの?」「そこんとこどうなん? うちらにも詳しく教えてぇな」ぐいぐいと攻めてくる二人に、思わずたじろいだ。女子高生らしいキラキラした目を二つずつ並べて、じっと俺の様子を窺っている。そんな二人に肩を竦めながら、ふぅ、と溜め息を吐いた。「……まぁ、今すぐってわけじゃねぇけど……しばらく様子見て、そのうちな」どうどう、と二人を宥めながら、苦笑いして答える。実際、もう一度プロポーズするにしても、少し時間を置いて、紫穂の気持ちの整理がつくまで待たないと、多分、また失敗すると思う。兵部が言っていた『一度の失敗』の先の未来は結局わからないままで、紫穂が受け入れてくれるか受け入れてくれないかすら教えてくれなかった。さっき皆本が言っていたように、紫穂と結婚できない未来が待っていたとしても、俺は一生紫穂の側にいるつもりだけれども。紫穂が他の男に目を向けたりしないように、一生を掛けて努力していく覚悟はできている。それでも、紫穂が離れて行ってしまったら、俺は一体どうなるんだろう?過去の俺すらも救ってくれた紫穂という唯一の存在を失った俺は、今度こそ、本当の絶望の中で生きていくことになるのかもしれない。あの頃とは違って、多少大人には成長できているはずだから、笑って紫穂を見送ることはできると思うし、そのあとだって、一人で生きていくこともできるんだろうけど、その先に待っているのは、詩的で気持ち悪いだろうけれど本当に色のない世界だ。感情の揺れも何も無く、ただ死を待って受け入れるだけの白黒の世界。そうなったら、もう、長生きなんてせずに、仕事に打ち込んで、世界にだけは貢献して、とっとと寿命を全うしたい。誰にも心配掛けないように笑顔で、紫穂の幸せだけを祈って。ずるずると、どうしようもなく暗い思考に引っ張られていると、薫ちゃんと葵ちゃんがクスクスと笑って俺の脇腹を肘で突っついてきた。「弱気はアカンで! 色男っ」「そうそう! 次は絶対成功するって!」「……んなこと言ってもなぁ……紫穂が無理って言ってる間は、無理強いできねぇよ」「大丈夫! いやよいやよも好きのうち、って言うじゃん!」「そやで、先生! 紫穂は間違いなく先生のこと好きなんやから、自信持ち!」「……えー?」力なく答えると、大丈夫大丈夫! と二人にバシバシ背中を叩かれてしまう。いってぇ、と思いながら甘んじて二人の応援を受け止めていると、皆本が書類を持って部屋へ戻って来た。「……何やってるんだ? 君たち」「ちょっと先生を元気付けてあげようと思って!」タタッと皆本の元へ薫ちゃんが駆け寄って、やっと背中の痛みから解放される。ほっと息を吐いていると、皆本が書類とペンを俺に差し出した。「同意書のサイン、お願いできるか?」「……は? 俺、身内じゃねぇぞ」「え? もう身内も同然だろ?」「……いや……あのね? 皆あんまり俺の傷を抉らないでくれる? 俺、今日プロポーズ断られたの」当然知ってるよね? と泣きそうになりながら言うと、三人とも知ってるよ? とでも言いたげな表情で俺を見返してきて。知ってんじゃん。じゃあ身内になれなかったことも知ってんじゃん!「じゃあさ、同意書のサインは俺じゃダメだよね? 皆本クンが書いてあげてよ」「いや、賢木で問題ないだろう。もう君は紫穂の婚約者もどうぜ……んんっ!」「皆本はん! その先を言うのは無粋やで!」「そうだよ皆本! こういうのは他人が首を突っ込んじゃダメなんだよ!」「んんっ! ……そ、そうか。そうだね。まぁ、とにかく。サインは君でいいよ」はい、とペンを渡してきた皆本の手を、何となく断り切れなくて、仕方なしにペンを受け取る。差し出された書類にさらり、とサインをしていきながら、俺、法的には紫穂の何者でもないのになぁ、と悲しい気持ちになった。晴れて婚約者、はたまた、紫穂の夫です、と名乗れる日はいつか来るのだろうか。プロポーズに失敗してしまってから、そういった明るい未来は全く想像できなくなってしまった。ほとほとと悲しい気持ちに浸りながら、最後の書類にサインを書き終えて、皆本に書類を渡す。「後で何かトラブルあっても責任は取るけど、俺は紫穂のただの何でもない彼氏でしかねぇからな。そこんとこわかっとけよ!」書類を皆本に押し付けながら叫ぶと、皆本は何言ってるんだという呆れ顔、薫ちゃんと葵ちゃんは、またまたぁ、とにんまりと笑って俺を見ていて。本当に、こいつらは俺をイジメて遊んでやがる。「じゃあ、薫。葵。この書類を受付に出して、紫穂を部屋まで運んでやってくれるか? 僕は賢木の検査をするから」「はーい」二人仲良く返事をして、薫ちゃんが紫穂を、葵ちゃんが書類を持って検査室を出て行った。ふわふわと浮かぶ紫穂を見送ってから、皆本に向き直る。「後で病院に怒られるのは俺なんだぜ? 同意書のサインってのは、かなりの責任を伴うものなんだからな」「だから賢木に頼んだんだよ。君は、紫穂のためならどんなことだって責任を持つだろう?」「……もちろん、そのつもりはあるけれども。この国は法治国家だからよ、ただの彼氏には何の権限もねぇんだって」ふぅ、と溜め息を吐きながら言うと、皆本はクスリと笑って返事した。「大丈夫だよ。ずっと君達を見て来た僕らが言うんだから、大丈夫」「……んだよー、さっきから皆して大丈夫大丈夫って……俺、返事はノーだってハッキリ言われてんだぜー……?」複雑な気持ちを抱きながら、検査の準備をしている皆本を見る。皆本はまだおかしそうに笑ったまま作業をしていて、早く着替えてこいと俺に検査服を手渡した。検査室にはもう俺達二人しかいないので、ちゃちゃっとその場で着替えると、とっとと始めるぞ、と皆本が検査機器を動かし始めた。「へいへい……ったく、もうちょっと親友を労わってくれてもいいんじゃねぇの?」検査機器に寝転がって、機械の動作終了をひたすらに待つ。長いようで短い時間が終わって、皆本の、全部終わったぞ、という声と共に身体を起こした。「……賢木も問題はなさそうだ。記憶の混乱の方はどうだ?」「あー……しばらくすれば、頭の整理もできて落ち着くだろ」紫穂の手によって俺の過去の記憶が改変されて何が本当の過去なのかわからない、だなんて、こっ恥ずかしくて言えない。これはもう、兵部がプレゼントしてくれた、俺と紫穂だけの秘密だ。誰にも打ち明けずに墓場まで持っていこう。言葉を濁して誤魔化すと、俺のカルテを書き終わった皆本が、俺に向き直った。「そうそう……さっきの話だけど」「ん? どの話?」「親友を労われって話」「ああ……別に、いいよ。もう」何となく居心地が悪くて話を切り上げようとすると、真剣な表情で、でも優しい笑みを浮かべて皆本は俺を見つめていて。「僕は嬉しかったんだ……天涯孤独だった君が、紫穂を伴侶にしたいと願ったってことがね」皆本は、付き合いが長いのもあるけれど、学生時代に諸々あって、俺に身寄りがないということを知っている。諸々、とは言っても複雑なものではなく、単純に、皆本のご両親に俺を紹介してもらった時に、俺には紹介する先がねぇよって話になったという単純な話だ。両親が揃ってる皆本からすれば、俺の生い立ちは珍しくて気に病むものだったのかもしれないが、じぃさんには良くしてもらったし、じぃさんが居なければ、医者にもなっていなかった。俺は俺で、それなりの人生を歩んできたつもりだ。「君と紫穂が付き合うって聞いた時は、そりゃあ心配したけれど、賢木が本当はどんな奴なのか、ずっと見てきているからね。人と繋がりたがらない君が、紫穂と真面目にお付き合いをしてきたことを、本当に嬉しく思ってる」「……皆本」「結婚式には、呼んでくれよ?」いつしか、俺が言った冗談を返してきた皆本に、何だかうっかり涙が零れそうになって。「ばか……まだ早ぇよ……」涙声の俺の背中を、皆本があんまりにも優しく撫でるもんだから、堪えた涙が溢れてしまう。泣き顔を見せたくなくて、顔を覆って嗚咽を堪えていると、ぎゅっと肩を抱き寄せられた。「……紫穂……いつか……オーケー、くれるかな……?」情けないくらいに涙声の俺を笑いもせずに、皆本は、当然だろ、と肩を叩いてティッシュを差し出す。素直にそれを受け取って鼻をかんでから、ゆっくり立ち上がってティッシュをゴミ箱へ投げ入れる。「紫穂の目が覚めたら、ゆっくり時間を掛けて、話をしてみるといいよ」「……そうだな……あー、紫穂、大丈夫かな? 俺のせいで無理させたもんな……」「大丈夫さ。愛の力があれば」「……だな。愛の力最強だな」自分たちのトップが常に口にしている言葉を笑いながら唱えて、皆本と顔を見合わせる。俺とは結婚できないとハッキリもう一度言われたとしても、俺は紫穂の側についていてやりたい。目を覚ました時、一番側にいてやりたい。そして、あの綺麗な紫色の瞳に俺を映してほしい。それから、できれば、俺に笑いかけて、俺の名前を呼んで欲しい。もう、暫く泣き顔はごめんだ。やっぱり、紫穂には俺の隣でずっと笑っていてほしい。そして叶うなら、紫穂に何度でもプロポーズして、俺と一緒に人生を歩んでいってほしい。「行こうぜ。紫穂が待ってる」もう要らないと言われるまで、俺はずっと君の側にいたいんだ。しっかりと前を向けるようになった俺に微笑みかける皆本を伴って、検査室を後にした。

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