「葵ちゃん。私たち全員をバベルの医療棟まで運べるかしら。今すぐ」深い眠りに就いている先生に触れながら、葵ちゃんに声を掛ける。「も、もちろんや! ほんなら行くで!」「わ、私も手伝う!」薫ちゃんが慌てて念動力(サイコキネシス)を発動させて、先生の身体をゆっくりと持ち上げた。それに合わせて、私もゆっくりと立ち上がる。「一体何が起きたんだ、紫穂」「……わからない。ちゃんと透視してみないと。でも、兵部少佐が先生に何かして、先生の記憶中枢に何かが起こっているのは確実」表層を簡単に透視しただけじゃ、先生の頭の中で一体何が行われているのかまではわからない。クッと唇を引き結んで、昏々と眠っている先生に目を向けた。こんなにも、深く眠っている先生を今まで見たことがない。まるで、命が失われているような、そんな、深い眠り。一瞬だけゾッとした悪寒が走った自身を何とか奮い立たせて眉を寄せた。「取り敢えず、バベルへ行こう。何かわかるかもしれない」「えぇ」冷静さを取り戻すために、先生の手をぎゅっと握り締める。いつものように握り返してはくれないその手を包み込むように、そっともうひとつの手も重ねる。僅かに体温を感じる先生の手に少しだけ安心して、葵ちゃんのテレポートに身を委ねた。* * *通い慣れた先生の診察室。今診察台に横たわっているのは、ここを訪れる先生を頼りにしている患者さんではなく、この部屋の持ち主である先生だ。今日私と別れた時と同じままの格好で、先生は深く眠りに就いて、いつも座っている椅子ではなく診察台に寝かされている。いつもと立場が逆じゃない、と心の中で先生をなじりながら、気を引き締めて先生の身体に向き合う。「一人で大丈夫そうか?」「蕾見のばーちゃんがいないんだもの。私がやるしかないじゃない」心配そうな皆本さんにふっと笑いかけた。私だってレベルセブンだ。兵部少佐に、負けたりしない。先生の頭に触れて、髪の感触を確かめるようにするりと指を通す。心を落ち着かせるように深呼吸をして、キッと目を見開いた。「三宮紫穂、解禁!」キィィィン、と力が発動する音が静かな部屋に響く。何かあったときの為に、と薫ちゃんと葵ちゃんは私の後ろに待機してくれている。二人がいてくれるだけでも心強い。恐る恐る潜っていくと記憶中枢に辿り着いて、そこに僅かな違和感を抱いた。「記憶が……ブロックされてる?」「記憶を失ったわけじゃないってことか?」「わからない。もう少し深く潜ってみる」「充分気を付けろよ。何を仕掛けられたのかわからないからな」「わかってるわ。何かあったら、すぐに浮上する」先生を挟むようにして向かいに立っている皆本さんと会話しながら、記憶中枢の中を覗くように先生の奥深くに潜り込む。何とか降り立った場所は、壁一面、たくさんの引き出しに埋め尽くされていた。くるりと全体を見渡すと、やっぱり、鍵が掛かっている引き出しとそうじゃない引き出しとが混在している。兵部少佐は記憶の一部を消すと言っていた。その一部がこの鍵が掛かっている引き出しのことだとしたら。この鍵を見つけ出せば、先生の記憶を取り戻せるってことかもしれない。「大体仕組みはわかったけど……あとはどうやって鍵を開けるか、ね」「鍵? 鍵が必要なのか?」「えぇ、記憶の引き出しに鍵が掛かってる、って言えばいいのかしら。とにかく、鍵を探さなきゃいけないのかも」「私たちも手伝おうか?」「せや、物探しやったら、人手があった方がエエで」「ちょっと待って……そもそも鍵自体が存在するのかわからないから……」引き出しに手を触れて、キィンと鍵穴を透視する。そこから透視(み)えたのは鍵の実体ではなく、鍵穴の構造でもなかった。鍵穴を通して透視(み)えるのは、ただひたすらに暗い闇。やっぱり、鍵は実在するものではなくて、抽象的なものらしい。兵部少佐そのものが鍵なのか、この部屋を構成している先生が何か持っているのか、それとも他に何か鍵になるキッカケのようなものが存在するのか。状況から考えて、とにかく鍵はこの記憶中枢の中にあると考えるのが妥当かもしれない。他の鍵穴も透視(み)て情報を集めようと他の引き出しに目を遣ると、キラリと光る、鍵の掛かっていない引き出しが目に入った。ゆっくりとその引き出しに近付くと、引き出しがガタガタと音を立てて存在を主張し始めた。恐る恐る引き出しに手を掛けると、ビリッと指先に電気が走った。『やめろ。戻れなくなるぞ』頭の中に、緊迫した先生の声が響く。――あぁ。そこに、居るのね。ホッとしたような、嬉しくて涙が溢れそうな、あたたかい感情に満たされて、引き出しをそっと撫でる。「先生を見つけたわ。もっと深く潜ってみる」「おい! 一人で大丈夫なのか?」「そーだよ紫穂! いくらなんでも……」「大丈夫。私はレベルセブンよ」絶対に先生を連れ戻す。そう強く心に誓って、引き出しを思い切り開いた。
夢の中へ



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