ぼーっと窓の向こう側にふわふわと浮かんでいる雲を眺めていた。大きな食堂の窓際でも、周囲はがやがやとうるさい。でも、皆本の作ってくれたリミッターのおかげで頭の中はスッキリしている。思考を邪魔するノイズも溢れかえるような情報の津波も全くない。耳から入ってくる雑音さえシャットアウトしてしまえば、考え事をするにはちょうどいいくらいの時間の持て余し方。なのに、俺は何も考えず、ただ、ぼーっと窓の外に浮かぶ真っ白な雲を見つめていた。はぁー、と胸に溜まった空気を吐き出して、目を閉じる。不快なものを見ていたわけではない。澄み切った青い空とそこに浮かぶ真っ白な雲を見ていただけなのに、何だか目が疲れてしまった。ぎゅっと目を閉じて窓からテーブルへと顔の向きを移動させる。自分が今見ていたのはどちらかと言えば目の保養になる、綺麗なモノ。そう、まるで見ていてこっちが眩しくなる皆本みたいな。そこまで考えて、ふと、皆本のことを頭に思い浮かべた。もうすぐ目途が立つ、と皆本は言っていた。皆本の言うもうすぐってどれくらいだろう。はっきり聞いておけばよかった。カラリ、と氷の溶けかけたオレンジジュースをストローでかき混ぜて、まだ冷たさの残るそれを吸い上げた。溶けた氷で薄まったオレンジジュースの中途半端な味が口の中に広がる。グラスに半分くらい残ったそれを見つめて、もう一度息を吐く。テーブルに肘を突いて、手持ち無沙汰にカラカラとグラスの中をかき混ぜた。「……あら、シュージ。またコーイチに振られたの?」「……マリア。振られたって言い方ないだろ。それに今日は別に皆本のトコ行ってねぇし」ぶす、と頬を膨らませながら俺の前に座ったマリアを睨み付けると、クスクスと笑いながらマリアは目の前に置いたカップケーキに手を伸ばした。「だって……シュージ寂しそうなんだもの。ひとりはつまらないって顔してる」あーんと大きな口を開けて、いかにもコメリカらしいピンク色のクリームがたっぷり載ったカップケーキに齧(かぶ)り付きながら、マリアはごくごく自然にそう指摘した。「……俺、そんな顔してる?」「してるわ。コーイチがいなくてとってもつまらない! って、まるで小さな男の子みたい」「……大袈裟だろ」「そうかしら?」モグモグと美味しそうにカップケーキを頬張るマリアは、俺のことなんてお構いなしといった様子で続けた。「一緒に遊ぶ友達がいなくて寂しいなんて、小さい男の子と変わらないでしょ」幸せそうに甘いもので心を満たしている女の子は誰だって可愛い。なのに、その可愛い女の子であるはずのマリアの口から吐き出されるちょっとした棘が、チクチクと俺を責めるように刺さって何となく居心地が悪かった。「……そんなこと、ねぇよ。別に、ひとり、でも……寂しくなんか、ねぇし」ぽつり、と所在なさげに呟くと、目を真ん丸にしたマリアがフォークを銜えたまま俺の顔を凝視して。それから表情を崩してにっこりと柔らかく微笑みながら、まだ湯気の上がっているコーヒーカップに口を付けた。「ついこの前まで、ひとりきりで誰も寄せ付けなかったシュージに、いい友だちができてよかったねって話をこの前クリスとしたの」ふふ、と笑うマリアは、まるで俺を見守る姉のような目をして告げた。まるで大切なものを扱うようにマリアは指先でソーサーに置かれたカップを包み込んでいる。愛おしむようにカップのふちを撫でながら、テーブルに肘を突いてニヤリと笑って首を傾げた。「できたばかりの友達が嬉しくて、毎日ウキウキした顔してたのよ。あなた」「……え」ニヤニヤと笑うマリアの顔を見ていられなくなって、視線を彷徨わせる。何となく頬に熱が集中してきている気がして、ほんの少し俯いて表情を隠した。そんな俺の様子を見透かしたのか、クスクスと口許を隠しながら可笑しそうに笑ったマリアが、まるで俺の知らない事実をこっそり教えてくれるようにひそひそと呟いた。「コーイチが忙しくなって、毎日会えなくなってから、あなた本当に寂しそうにしてる」本当よ? と口許をにんまりと弧の形にして笑ったマリアが俺を見つめている。俺はその指摘にいよいよ顔が赤くなるのを感じてそっぽを向いた。そんな子どもっぽい反応にいよいよ堪えられなくなったのか、マリアはお腹を抱えてケラケラと笑いだしてしまった。「わっ、笑うなよ!!!」「ご、ごめんなさい。でも、だって! 本当にあなたって小さい子どもみたい!」アハハと目に涙を浮かべながら、マリアは欧米人にありがちな大袈裟な身振りで笑い転げている。ここまで自分が小さい子どもみたいだ、と言われてしまうと本当にそのように思えてきてしまって、一体自分の行動のどこがおかしかったのだろうと思い返した。ひとつひとつ自分の行動を振り返ってみる。やっぱりおかしいところなんてわからなくて首を傾げていると、ひとつだけ、おかしいと言われてしまう原因に思い当たってしまった。ぶぅと頬を膨らませながらテーブルに肘を突いて、不貞腐れた態度を隠さずにそっぽを向いて。「……もう何とでも言えよ。俺は親友なんていたことねぇから距離感がわかんねぇの!」オマケにふん、と鼻を鳴らしてやれば、ヒーヒー言っていたマリアもようやく落ち着いてきたのか、目尻に浮かんだ涙を拭いながらニコリと俺に向かって微笑んだ。「そうね、そう。そうだったわ。コーイチはシュージの初めての親友だったわね」うんうん、とマリアはまた俺の姉になったみたいな顔をして続ける。「でも本当に、今のシュージを見ていると、大切なものを取られた子どもみたいなんだもの。見てておかしくなっちゃうわ」二ッと悪戯っぽく笑ってみせるマリアに、けっと悪態づいて腕を組みながらボソリと呟いた。「……仕方ねぇだろ。皆本はどうか知らねぇけど、俺は皆本が大事なんだ」そう、皆本が俺のことどう思ってるかなんてわからないけれど、俺にとってもう、皆本は一番大事で、大切な存在だ。でも、それはきっと、俺の一方的な想いでしかなくて、本当に皆本のことを手に入れることなんてできないってわかってる。俺なんかが皆本の隣で、友達としていられて、それから、一方的かもしれないけれど、俺みたいなのが皆本の親友と言わせてもらえるだけでも、きっとすごく有り難いことなんだ。だって皆本は、明るくて眩しい光の中にいるべき存在で、いろんなことをやらかしてきた俺が皆本の側にいるなんて、本当ならきっと有り得ないことで。皆本に出会えて、リミッターを作って俺を救ってくれて、それだけで終わらずに友達になってくれて。これ以上ないくらいに皆本と貴重な関係を築けている。俺はこの関係を一生ものの宝物みたいに大切にしていきたい。自分の中に生まれている皆本に対する想いを改めて自覚して。完全に氷が溶けてしまったオレンジジュースに刺したストローをまるで子どもみたいに噛んでいると、ふ、とテーブルに影が近付いた。「ねぇ。アナタがシュージ・サカキ?」ふわり、と漂うフレグランスに顔をそちらへ向けると、たっぷりとしたブロンドの長い髪を片側に寄せて、豊満な身体を強調するように腕を組んだ女が立っていた。細い腰を強調するベルトとミニスカートから惜しげもなくさらけ出したすらりとした脚は白人らしい白さで、思わず眩しく見えて目を細めた。「……そうだけど?」表情は乏しいけれどぷっくりと柔らかそうな唇が色っぽい。できるだけ冷たい態度にならないように気を付けながら、物腰の柔らかさを意識して優しく返事をした。すると女の子は緩く口角を持ち上げてから、腰を屈めて俺の耳元に口を寄せた。「今晩、空いてる?」そっと囁かれたその言葉の意味を瞬時に理解して、とっておきの甘い笑顔を女の子に向ける。「いいよ。君の家?」「ええ。場所は……」家の場所を伝えようとした女の子の手を取って軽く透視する。パッとアパートの位置と部屋番号を透視み取ってから目を細めて女の子に笑いかけた。「大丈夫。暗くなる頃に行けばいい?」「それでいいわ。待ってる」「じゃあまた夜に」「ええ。楽しみましょ」手を振って立ち去っていく女の子にひらひらと手を振って見送った。今日の夜は寂しい一人寝を回避できそうだ、とほくほくしながら身体の向きを元に戻すと、嫌悪感を顕わにした顔でこちらを見ていたマリアと目が合った。「……シュージ。あなた、リミッターを手に入れてから悪い遊びを覚えたって噂、本当だったのね?」ぎろり、と睨み付けてくる視線から逃れるように目を逸らして、フン、と唇を突き出して言い返す。「覚えたんじゃねぇよ。日本でもああいう女の子はたくさん居た。俺は女の子の誘いを断らないだけ」来るもの拒まずで去るものには笑顔で手を振って送り出すだけさ、と身振りを加えながら大袈裟に笑ってみせると、はぁぁ、と深く溜め息を吐いたマリアが眉間に皺を寄せて額に手を当てる。「以前からそうだったんだとしても。そういうの、良くないと私は思うわ」もう一度、ふぅ、と溜め息を吐いたマリアの目が、じっと俺を見つめる。何だか居心地の悪いその視線にそっぽを向きながら口を開く。「どうして? 女の子をキモチよくしてあげて、オマケに俺もキモチよくなれて、双方に不利益なんてないと思うけど?」苦笑いを浮かべながらマリアを見ると、未だぎゅっと眉を寄せたままのマリアが納得いかない、と言った様子で告げる。「私はその、女の子をキモチよくしてあげるっていうのが変だって言ってるの。あなたの力はそんなことに使う為のものじゃないわ」俺に言い寄ってくる女の子たちが一体俺に何を求めているのか、それを綺麗に指摘してみせたマリアに舌を巻きながら、顔を顰めて答えた。「……俺の力なんだから、どう使おうと俺の勝手だろ」途端に口の中に広がった苦い味に、こちらも思い切り眉を寄せる。俺の力に興味を持って、その力でどんなセックスをしてくれるのか、という性的好奇心に塗(まみ)れた女の子が寄ってくるのは今に始まったことじゃない。日本で普通人(ノーマル)に交じって何とか暮らしてた時から、俺に言い寄ってくる女の子はそんな子たちばかりだった。俺を見ているんじゃない。彼女たちは俺の力を見ているんだ、なんてことはすぐにわかったし、ヤリたい盛りの高校生の頃は、逆にそんな女の子たちを利用してこちらも性欲解消に美味しい思いをさせてもらっていた。最初の頃はいろいろあったけど、そういう女の子たちとの距離感を覚えてからは、ちゃんと透視して、俺とのセックスに溺れそうなメンタルの女の子は避けていたし、多少そんな女の子が混じっていても、引く手数多だった俺の身体はひとつしかなかったから、自然とマズそうな女の子とは離れることができた。だから最終的に俺の周りに残ったのは割り切ったお付き合いができる女の子たちばかり。こっちに来てからはリミッターの調子が悪かったからそんな関係を築くことも困難だったけれど、皆本が作ってくれたリミッターのおかげで、俺はまた普通の生活を送れるようになった。そうすればまた自然とそういう女の子たちが集まってきて、俺は女の子たちのお誘いを受ける。ただそれだけ。それだけだ。「……セックスは二人ですることなのよ。こんなことを続けていたら、いつかシュージも辛くなるわ」二人の間に生まれていた沈黙を打ち破るように口を開いたマリアは、まるで自分が苦しいみたいにそう言って目を伏せた。マリアのそんな態度に、思わず俺の何がわかるって言うんだよ、と叫びそうになる。それを必死に堪えながら、ぎゅっと手を握り締めた。それだけじゃ堪え切れなくて下唇も噛むと、ふ、と息を吐いたマリアが本当に俺を心配するような顔をして言った。「それに……このことを知ったら、きっとコーイチだって悲しむわ」突然マリアの口から出てきた皆本の名前に、心臓がドキリと跳ねた。なんでここで皆本の名前が出てくんだよ、と目を見開いてマリアを凝視すると、困ったように笑ったマリアが、まるで子どもに言い聞かせるみたいな優しい口調で俺に言った。「自分の身体を大切にしてあげて、シュージ。きっとコーイチもそう言うに決まってる」柔らかくそう言ったマリアに、何故か苦虫を噛み潰したような思いをさせられて、チッと舌打ちをしてからボソリと呟く。「……マリアに皆本のことはわかんねぇだろ」それが何だか自分が虚勢を張っているように思えて、ますます苦い思いに口を歪めた。「それに俺は女じゃねぇし。そんなこと言うなら、マリアは早くクリスとくっついちまえよ」「なッ! 今は私の話してないわ!」急に顔を赤くして慌てふためいたマリアの様子に少しだけ溜飲が下がって、ニッと笑いながら立ち上がった。「じゃあこの話もこれで終わり。じゃあな、マリア。俺、行くわ」ちょっとどこ行くの! というマリアの叫び声を背中に受け止めながら、足早に食堂を立ち去る。飲み切れなかったオレンジジュースはもう殆ど水のような状態で、気持ち悪くて飲もうとは思えなかった。
そう、これはたとえばの話。



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