「モナコ公国に輸送任務?」「まぁ、端的に表現するとそうなるね」皆本は端末に表示された任務内容を確認しながら、その場にいた全員に目配せをした。「『財団』にこの機密データを届けて欲しいんだ」バベルの刻印が入ったUSBを掲げながら、皆本は葵の方へと向き直る。「『財団』直々の依頼であり、指名任務でもある……やれるな?葵」葵はゴクリと喉を鳴らしてUSBを受け取った。皆本やチルドレンのメンバーと一緒に渡航したことならあるが、単独での渡航は初めてだ。しかも自分はレベルセブン。何か失敗やトラブルに巻き込まれでもすれば、外交問題に発展しかねない。「とは言っても、そこまで気構える必要はないよ。データ自体は大したものじゃないんだ。『財団』とバベルの繋がりをアピールすることが本来の目的なんだ」だから心配しなくていい、と皆本に肩を叩かれて、葵は知らず知らずのうちに力が入っていたことに気付かされる。ふぅ、と息を吐いてから、手の中のUSBをぎゅっと握り締めた。「……とにかく、ウチはこれをお姫様に届けたらええんやな?」「そう。ただ届けるだけでいい。それで今回の任務は達成だ」「……わかった。ウチ、やってみる」「護衛にはバレットをつける。前に僕と飛んだときと違って、荷物も軽いし、君なら二人でも充分渡航できるだろ?」「勿論や!宜しくな、バレット!」葵はバレットに向かって満面の笑みを見せた。バレットは口元に緩く弧を描いてそれに答えた。「『財団』直々の依頼だから、向こうに宿も用意してくれるらしい。ゆっくりしてくるといいよ」とてもいいところだったから、と以前任務でモナコ公国を訪れたことのある皆本は、今までの司令官としての顔ではなく保護者としての顔で二人に笑い掛ける。それに黙っていないメンバーが一人だけ声を荒立てた。「葵だけズルいッ!私もモナコ公国行ってみたいー!」ジタジタと小さく地団駄を踏みながら、薫は子どものように駄々を捏ねている。皆本はそれを苦笑いしながら宥めるように言った。「仕方ないよ。今回は葵指名の任務だから。それに……」「薫ちゃんが渡航するとなると、それこそ即、外交問題に発展しかねないし、任務の危険度が上がるから、でしょ?皆本さん」紫穂が、皆本のフォローをするように告げた。そんな紫穂を薫は不貞腐れた顔で見つめる。「葵だってレベルセブンじゃん。何で私はダメなのさ?」「薫ちゃんは私達よりも命を狙われる危険性が何倍も高いから……でしょ?皆本さん」「……そうだ。薫はまだ、単独任務に就かせるわけにはいかない」これは、政府の決定でもあるし、僕自身の見解でもある、と皆本は眼鏡の位置を直しながら答える。黒い幽霊を壊滅させ、世界を良い方向へと転換させたこの少女は、いまいち自分のしたことの重大さを理解していない。それはある意味、純粋に、ひたむきに自分の信念を信じて戦った、この少女の良いところでもあるのだが、転換期を迎えている今の世界にとっては、弱点にもなりかねなかった。そんな状況で、皆本が薫を自分の側から離すなど、考えられないことなのだ。「皆本さんは心配なのよ。薫ちゃんのコト」紫穂がにこりと笑ってそう言うと、薫は頬を染めて照れたように頭に手をやった。「やだなぁ、皆本!そんなにアタシのことが心配なら、そう言ってくれればいいじゃん!」もー、と言いながら薫はバシバシと皆本を叩いた。皆本はそれを痛いと言いつつも何とかいなしながら、再び葵とバレットに向き直る。「とにかく、いくら危険性は低い任務とはいえ、用心は忘れるな。葵だって命を狙われる可能性がないわけじゃない。頼むぞ、バレット」「はい!お任せください!」ビシ、と敬礼を決めたバレットは、じゃあよろしく、と退室していった皆本の背中を見送ってから、姿勢を崩した。「では、葵どの。詳しい任務の打ち合わせは追ってまたにしましょう」「うん、せやね。正式な任務内容を受け取ってからにしよ」それではまた後で、とバレットはティムを連れ立って退室していった。そんな二人の背中を見送ってから、ふぅ、と小さく葵は溜め息を吐いた。公私混同は良くないと頭では理解しているものの、やはりまだ慣れない。バレットと葵が付き合い始めて半年が経つが、葵はいつもバレットにドキドキさせられっぱなしだった。先ほどの任務内容を聞いているときも、自分は普通にできていただろうかと不安になる。二人きりのときは甘い顔を見せてくれるバレットだが、仕事中は見事というほど、そんな表情は見せなかった。自分はそこまで徹底できているだろうかと、時々不安になる。葵はふぅ、ともう一度溜め息を吐いて、肩の力を抜くと、トン、と肩を叩かれた。「あーおい?どしたの?」「いや、何もないねん。大丈夫や」不思議そうに自分の顔を覗きこんできている薫に、葵は心配を掛けないように笑って返す。そんな二人に紫穂はゆっくりと歩み寄って、くすり、と笑った。「……葵ちゃん、考え事でしょ?二人で初めての海外だもんね?」うふ、と口許に手をやってにんまり笑っている紫穂に、薫と葵は、はて、と首を傾げる。「それがなんなん?別に二人で任務は初めてちゃうし……」「ああ!そっか!初めて二人で旅行行くようなもんじゃん!!!」「え?任務しに行くのに旅行も何もないやん……?」未だ疑問符を浮かべながら二人の顔を見比べている葵に、くふくふと笑いながら薫と紫穂はにじり寄った。「いよいよかもよ?初体験!」薫がにやにやした表情で葵に向かって言った。その隣で紫穂はうんうんと頷いている。葵は一瞬言われた内容を逡巡して、意味を理解した途端にかぁっと頬を赤くして反論した。「そ、そんなん!あるわけないやんッ!任務で行くんやで!!!」「どうかしら?あのバレットだって夜は豹変しちゃうかも」こてり、と可愛らしく首を傾げて紫穂は頬に指を当てて葵に言った。今度は薫が紫穂の言葉にうんうんと首を縦に振っている。「もう付き合って半年でしょ?そろそろ……ってバレットは思ってるかもよ?」薫の追い打ちに、葵はドキリとする。確かに付き合って半年。一般的にはそろそろそういった展開になってもおかしくない頃合いなのだろうか?自分たちのペースを大事にしようと言ってくれるバレットに甘えて、自分たちはせいぜい、デートの別れ際に時折キスをする程度。「そ、そんなん言うたかて、うちらにはうちらのペースがあるから……」言い返しながら、少しだけ不安な気持ちが生まれた葵に追い打ちを掛けるように、二人は詰め寄る。「バレットは我慢してくれてるのかもよ?葵ちゃん」「バレットだってオタクとはいえ健全な男子だよ!?葵に触りたいし、いやらしいことしたいに決まってる!」「そ、そんなわけ……」言いながら、どんどん不安になってきた葵は、日々の自分たちの関係を思い返してみた。そっと寄り添い、手を繋ぐだけ。自分はそれだけでも幸せで甘酸っぱい気持ちに包まれていたが、バレットはそうではなかったのだろうか?もっと先、キスよりも先のことを、望んでいたのだろうか。「……ウチ、バレットに、我慢させてしもてたんやろか……?」不安が心配に、心配が確信に変わり、葵はきゅっと胸の前で手を握った。心に沸き立った考えに震える葵。そんな葵に薫と紫穂はそっと寄り添う。「大丈夫よ、葵ちゃん。当日に向けて、準備をしましょう」「そうそう。初めての夜を楽しめるように、今からイメトレだよ!」「紫穂……薫……」こういったことに疎い自分は、自分よりもこういったことに詳しいはずの二人に頼るしかなかった。彼女たちにも経験がないということをすっかり失念してしまうくらいには、葵は冷静さを失っていた。「頼むわ。二人とも!ウチに、いろいろ教えて!」そういった面で大人びているように見えた二人に、葵は藁をもすがる気持ちで泣きついた。
Failure is success in progress.



コメント